誰も、ケンも何も言わなかったので、眼前にサーキットが見えてきた時、ロジァは驚いた。
思いもよらなかった。
ヘリコプターを降りると、男は二人をひとつのピットの中に案内した。
既に決勝のスタートは切られていた。
「やっと来たな、おや、友達ってその坊やか?」
ハンスが振り返って笑った。
ケンはハンスにロジァを紹介した。
握手を求められて、ロジァはフンとばかりに手を出そうともしない。
仕方なく宙に浮いた手をハンスは引っ込めたが、その表情は明るかった。
「で、アレクセイ、どうなんだ?」
ケンはハンスに尋ねた。
「好調好調、優勝いただきだぜ!! 絶対!!」
ハンスは力を込め両方の拳を突き出して叫んだ。
一昨日の電話で言っていた心配はどこにいったかとケンは思う。
一方いきなりこんなところへ連れてこられ、しかもそこにいるのは、いつぞやアレクセイのアパートの駐車場でアレクセイとキスしていた男である、ロジァは何となく腹が立つ。
帰ってやろうと思ったが、いつしか、しっかりサーキットを目で追っていた。
我ながら、バカなことやってるな
アレクセイはそんなことを思いながらハンドルを切る。
彼の前には次のブレーキング・ポイントが見えているだけだ。
フォーメイション・ラップを待つ間、彼の心搏数はおそらく予選の時よりも少なかったに違いない。
異様に落ち着いている。
ルシアン・ルーレットならぬルシアン・サーキットって奴だ。
密かに一人笑いする。
エンジンを最大限にパワーアップさせたまま、二日間の予選を終えた。
無論、彼のベスト・ラップ・タイムは二位以下を完全に引き離していた。
どちらかというと、無闇に走りすぎた。
午後になると小雨が振り出した。
ふいにアレクセイの脳裏に浮かんできたのは厳かなカトリックの葬式だ。
喪服に身を包み、ベールで顔を覆った、痩せぎすのリコの母が、夫に支えられて泣き崩れていた。
二人の妹も泣いていた。
ロジァは涙も見せず、じっと、土に埋もれていく棺を見つめていた。
その時、ガッガッという何人かの靴音がして、アレクセイが振り返ると、後方にベッカーとその部下の姿を認めた。
アレクセイはその行く手に立ちはだかった。
「待ってください」
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