響は笑って、じゃあ、お願いします、と頭を下げた。
「先生、あたし、先生のピアノ、ちょっと聞きたいな」
唐突にそんなことを榎が言い出した。
「先生、授業でもさわりとかしか弾かないし」
高校時代は昼休みなどによく弾いていたのだが、教える立場になってから、響はこの学校でフルに曲を弾いたことはなかった。
学校はあくまでも生徒が学ぶところだと思っているからだ。
「ショパンが聞きたい」
志田が言った。
「先生が今弾きたいって思ってるヤツ」
瀬戸川までが期待に満ちた目で響を見た。
「学校は生徒が主役だからな」
「今は放課後だから、いいんです!」
三人にせっつかれて、響は仕方なくピアノの前に座った。
エチュードの一番から三番を弾いたあと、スケルツォの三番を弾き始める。
細かな音が目に見えぬドレープを作り広がってゆく。
古いピアノは時折響の耳にかすかな歪みを感じさせるが、それもまた音の羅列に表情を与えていく。
最後の音を弾いてからふうっと息をした響は、はっと我に返った。
一瞬シーンと静まり返ったその次には、拍手と歓声が聞こえた。
「すっごーい!」
「ホンモノだーー!」
「感動です!」
「ブラボー!」
女子三名に加えて低い声が混じっている。
「やだ井原先生、目ウルウル!」
「いやマジ、よかった~」
いつの間に来ていたのか、泣きそうな目で井原が立っていた。
ほんとに、こいつは。
だから憎めないってか………。
「井原センセ、部活行ったんじゃなかったのか」