そんなお前が好きだった82

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「あんたが何をしようが勝手だけど、俺の気持ちは変わらない。俺はここで仕事も見つけて暮らしている。もうドイツに戻るつもりもない」
「Oh! ヒビキ、お願いだから」
 オーヒビキ、だけは井原にもわかった。
 何やら情けない表情で、響に懇願しているらしいことも。
「あんたがやるべきことは、奥さんと子供を大切にすることだ。もうみっともないマネはしない方がいい」
 響の言葉も表情もひどく冷たかった。
 だがそれでクラウスにはようやく響の言わんとすることが伝わったようだ。
「響に出会った時は運命だと思ったんだ。妻子がいたが、響を愛していた。妻子には悪いと悩んだが、別れるしかないと」
 クラウスはブツブツと続けた。
「もっと早く決断すべきだった。君の心が離れてしまう前に。結果的に騙していてすまなかった」
 諦めたらしいクラウスはやっと背を向けたが、また振り返り、「そこにいる彼は新しい恋人?」と聞いた。
「いや、仕事の同僚だ」
「そう。ただ、これだけは言わせてくれ。どこにいても君はピアノを続けてほしい。俺は君のピアノが好きだ」
 オーケストラを率いている時の威厳も形無しじゃないか。
 響は肩を落として去っていくクラウスをしばし見送ってから、門を開けた。
「悪かったな。せっかく……」
 響は井原に何と言っていいかわからなかった。
「引っ越しが決まったら知らせてくれ。手伝いに行けたら行くし」
「あ、ああ、一応、来週の土曜日あたりと思ってるんだけど」
 井原も今の男のことを聞きたいにもかかわらず、どう切り出していいかわからない。
「じゃあ、また知らせてくれ」
 響は井原に視線を合わせようとしない。
「あの」
 ドアを開ける前に、性分でそのままにしておくことができず、やはり井原は聞かないではいられなかった。

 


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