だが響は、昔ほどではないが人とのつき合いは苦手だ。
「じゃあ、元気、ごちそうさま」
さりげなく響が椅子から立つと、「もう、お帰りですか」と元気がたずねる。
「えーー、キョーちゃん、帰っちゃうの?」
「最後にキョーちゃんと騒ぎたかったのに」
「俺とのツーショットはよ??」
進学が決まった生徒も浪人決定の生徒も入り混じって大騒ぎだ。
「レッスン待ってる生徒がいるんだ。卒業おめでとう」
響は言い残し、しきりに残念がる生徒たちを置いて伽藍を出た。
レッスンがあるのは本当だ。
講師の話と同時に、元々田村にレッスンを受けていた生徒を引き継いだだけでなく、田村から聞いたと、レッスン希望の問い合わせが数件入った。
いきなり実家に帰ってきて、折り合いの悪い父親にただで世話になるわけには行かないと思っていたところなので、まあ、いいか、と引き受けた。
響がロン・ティボー国際コンクールで優勝経験があることも田村が話したのだろう、あっという間に十人ほどのレッスンをみることになった。
ベルリンで使っていたスタンウエイは、葬儀が終わり、少し落ち着いた頃、航空便で他の荷物と一緒に届いた。
元々離れに置いていたピアノはスタンウエイが届く前に調律してもらい、とりあえず弾けるようにはなったものの、いつも使っていたスタンウエイとは使い勝手が違い過ぎた。
離れのど真ん中にスタンウエイとヤマハのグランドピアノを向かい合わせに置いて、母親が使っていたアップライトのピアノも仕えるようにした。
家に戻ってからバスルームと簡単なキッチンを増築したが、離れは割と広いリビングと奥に六畳ほどの部屋があり、響は高校を卒業するまでその部屋を寝室にしていた。
この家に戻ることは祖父の訃報を伝えてきた電話で申し出たが、父親は、そうか、と言っただけだ。
高校を卒業すると同時に家を出てから十年、一度も戻らなかった。
祖父は留学中の響きを尋ねてヨーロッパまで来てくれたし、電話やビデオ通話で話をしたが、父親とはまさしく十年ぶりとなった。
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