そんなお前が好きだった93

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 そう言ってから井原は、「あれ、来月半ば、インハイ地区予選じゃなかったか?」と呟いた。
「まあな。寛斗は負ける気がしないとか言ってるぞ」
「だったらいいけどな」
 そろそろ行くかとドアに向かった井原だが、また戻ってきた。
「あ、引っ越し二十四日、十時で、助っ人お願いできる?」
 井原は唐突に響の耳元で囁いた。
「わ、かったよ。早く行け!」
 唐突に耳朶に触れるような井原の言葉に響は思わず身を竦めた。
 いつもの井原だ。
 土曜日、急にクラウスが現れて、しかも井原といる時に、響は内心焦り、イラついた。
 井原は響の説明を額面通り受け取ったわけではないような気がした。
 何か言いたげな顔をしていたが、今日のあのようすではさほど気にもしていないのだろう。
 響は井原の表情が気になっていたので、少し拍子抜けしたものの、まあよかったと胸を撫でおろした。
「また、来てたのかよ、あいつ、暇だな」
 演奏が終わってサッカー部に向かう寛斗が、響の横を通りすがりに面白くなさそうな顔で言った。
「井原のことか? 気になるんだろ、元音楽部長としては」
「気になるのはあんたのことだろ?」
「何言ってるんだよ。とっとと練習行け! せめて一回戦くらい突破しろよ!」
「うっせえよ!!」
 笑いながら響が振り返ると、不意に寛斗の背中をじっと追うような瀬戸川の視線に出くわした。
 響に気づくと、瀬戸川は我に返ったように、新一年生に向かった。
「今日の演奏で気づいたことなどあったら、遠慮なく話してください。来年は皆さんが主役になるので、その時の参考にも鳴ると思います」
 何だか、切ない目をしていた。
 普段しっかりしている瀬戸川の、不意の脆さを垣間見た気がして、響は思い切り自分の昔がオーバーラップした。
 やはり、瀬戸川は寛斗が好きなんだ。
 瀬戸川が寛斗に告ったとしたら、俺にバカみたいなことを言っている寛斗も目が覚めて、瀬戸川を見るようになるだろうか。
 瀬戸川はどうするのだろう。
 俺のように腐らせてほしくはないとは思うのだが、俺がしゃしゃり出ることもできないしな。

 


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