そんなお前が好きだった98

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「やめてくださいよ。天才なんかじゃないし、ロンティボーも昔の話ですって」
 響は軽く否定した。
「またそんな言い方して、和田くんはもう少し自分を認めてあげた方がいいと思うわ。それに前はこんな風に、打ち解けて話したりしてくれなかったでしょ? 和田くんもちゃんと成長してるじゃない。って、あたしったら、えらそうに。それに和田くんとか、ごめんなさい、つい昔の癖で。和田先生」
 江藤は言い直して、持っていた本を書庫に戻し始めた。
「いいんです。俺、未だに先生、とか、全然慣れなくて。第一、先生とか呼ばれるような人間じゃないのに。田村先生のピンチヒッターってだけで」
 一呼吸おいて、江藤は言った。
「でも頼られてるよね? 音楽部の瀬戸川さんたちとかに。それっていいことじゃない? それに、さすが井原くんよね、今一手に注目集めてるけど、ガリレオ先生とかって。でも和田くんも負けてないでしょ? キョー先生って、赴任直後から生徒に溶け込んだじゃない。いいことよ」
 笑顔を残して江藤はカウンターの中へ戻っていった。
 江藤先生こそ変わらないな、と響の在学当時から誰にでも包み込むような笑顔を見て響は思う。
 高校時代は一人蚊帳の外のような存在だと自分のことを思っていたが、こうして生徒たちとまたこの校舎の中にいる時、自分から蚊帳の外に置いていただけだったのだと改めて思うのだ。
 こうして校舎の中を歩いてみると、そこここにあの頃の自分がいた。
 そして忘れていたシーンの中に井原がいた。
 喜怒哀楽がはっきりしていると生徒が言っていたが、すぐに思い浮かぶのは笑っている井原だが、怒ったり泣いたりと言ったシーンも思い出されて、そういえば忙しいやつだったと響は苦笑する。
 そんな昔の思い出に浸りながらのんびり穏やかに過ごせたらよかったのだ。
 実在の今の井原が現れたのはまさしく想定外。
 今の井原は昔の井原じゃない、好きだったのは昔の井原なのだ。
 ダメだ、今の井原に心を乱されたりしては。
 少し落ち着かないと。
 響は自分に言い聞かせ、文字すら頭に入っていなかった本を棚に返した。


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