春立つ風に1

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 極力温かいダウンコートにマフラーをきっちり巻いた上にマスクをして、広瀬良太はオフィスへの階段を上がった。
 手にはポカリスエットの一〇〇〇ミリリットルのボトルやバナナ、梅漬けやおむすびの他に栄養ドリンクやビタミン剤のサプリやゼリー飲料が入った袋を下げている。
 乃木坂にある青山プロダクション。
 テレビ番組、映画等の企画制作及びタレントの育成、プロモーションが主な事業内容で、規模は小さいが、不況真っ只中のご時世にあって右肩上がりの業績を挙げている。
 社長の工藤高広は、キー局時代、鬼の工藤と異名を取った敏腕プロデューサーであり、プロデューサー兼社長秘書というのが良太の肩書だ。
 昨今業界内のとある筋の間では、広瀬良太といえばあの鬼の工藤の今や懐刀とも言われている、らしいのだが。
「ただ今戻りました」
 ドアを開けた途端、その温かさに思わずはあっと大きく息を吐く。
「お帰りなさい、良太ちゃん、どうだった?」
「あ、大丈夫です。熱はそんなに高くないし、インフルは陰性でした」
 鼻声に気づいたのは今朝オフィスに来て、経理兼受付兼諸々の庶務を一手に引き受けてくれている鈴木さんに、おはようございます、と挨拶した時のことだ。
 母親にもことあるごとに言われているが、年に一、二回は必ず風邪を引くので注意はしているつもりだった。
 しかし、やはり昨夜、炬燵でドラマのキャスティングを考えながら転寝をして、気がついたら朝だった。
 時刻は既に九時を回っている。
 いけね、と飛び起きて猫のお世話をしてからシャワーを浴びて出てくると、くしゃみを連発した。
 パンとコーヒーで朝食にしようと、トーストにしたパンを齧った時、あまり美味くない気がした。
「ヤベ……風邪っぽいかも」
 コーヒーとは別のマグカップに牛乳を注いでレンジで温めると、コーヒーに入れてカフェオレにした。
「あとでドリンク買ってこよ」
 風邪気味の時には、五分で出社できるオフィスのありがたみが非常にわかる。
 これで満員電車に揺られて出社だったら、完全に風邪が悪化しているだろう。
 だが。
 いつものようにデスクワークを始めた良太は、目がしょぼしょぼ、鼻がグスグス、やがて何となく悪寒も感じ始めた。
「良太ちゃん、明らかに風邪でしょ? 早いとこ裏のクリニックに行ってらっしゃい」
 正午まであと三十分という頃、またくしゃみをした良太を見かねて鈴木さんが言った。

 


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