春立つ風に210

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 海老原もそれ以上、工藤に絡むこともなく、静かにグラスを傾けていた。
 そのうち坂口と溝田監督に呼ばれ、工藤と奥寺も交えて声高にああでもないこうでもないと始まり、奥寺と坂口がさらに激高して一見内輪もめのようなやり取りになっていた。
 やがて坂口の、ガハハという笑いに他のメンツの笑い声も混じる。
「あの二人長い付き合いらしくて、昔からよく喧嘩腰のやり取りが二人寄った時の名物だったみたいだよ」
腕組みをして眺めていた良太に、隣に立った宇都宮がボソリと言った。
「傍から見たら喧々囂々でも、一回はやらないと気分が乗らないとか?」
「そうそう、工藤さんも二人の言い争い始まったら勝手にやらせてるでしょ」
 全くこの業界、魑魅魍魎がうようよだよな。
 やがて次のシーンの撮影に入ると、すっかり椎名と小椋が身体に馴染んできた宇都宮と小笠原が長い科白も一発で決め、溝田監督のカットがかかるまで演者たちが織り成すドラマの世界に皆が見入っていた。
 ひとしきり撮影が続いた後、ちょうど小腹が空いたらしく、小笠原が「腹減った」と口走った。
 それを合図のように、良太と森村は弁当と温かいお茶のボトルを配っていく。
「海老原さん、お弁当いかがですか?」
 一応、良太は聞いてみた。
「俺は結構。フン、しかし人とは違った時間に労働するとか、因果な商売だな、業界人は」
 せせら笑う海老原は、だが最初に嫌味を並べていた時とは微妙に声のトーンが違っていた。
 するとドアが開いて、良太は野口がやってくるのを見た。
「お世話になっております」
 良太はまっすぐ海老原のところへ歩み寄った野口に挨拶をしたが、野口は良太にようやく気付いたふうで、「あ、どうも……」と返事をした。
 いつも落ち着いた野口しか見ていなかった良太は、何となく野口の心ここにあらずといったようすを意外そうに見た。
「一体どういうことだ? ニューヨークのおば様から、礼央が急に帰ったって俺のところにすごい剣幕で連絡がきて……」
「フン、ほっとけ」
「だって、長谷部議員のお嬢さんとの大事な会食をすっぽかしたって………」
「いいか、俺らもう高校生のガキじゃないんだ。アラフォーのいい大人が、母親がどうのとくだらねぇんだよ」
 海老原はスツールから立ち上がって、たったか出口へと向かう。
「ちょっと待てよ、礼央!」
 野口は海老原を追って、そのまま二人は店を出て行った。
 何なんだ? 一体。
 首を傾げる良太の後ろに、いつの間にか美亜が立っていた。
「礼央ったら、また、ママを怒らせて」
 呟く美亜を振り返り、プライバシーとはわかっていたが、良太は「何かあったんですか?」と聞いた。

 


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