「そうですか」
福井も大野を慕っていたからこその発言なのだろう。
いずれにせよ大野のことを悪く言う人間はいないはずだ。
「お知らせくださってありがとうございます。大野さんに一言でも最後に声をかけられた」
門まで見送ってくれたゆり子は工藤に深く頭を下げた。
呼んでおいたタクシーが階段の下で待っていた。
タクシーに乗り込むと工藤は言いようのない寂寥感を覚え、不意に良太の顔が見たくなった。
必然的に能見学は良太一人で行くしかなくなった良太だが、ちょうどオフィスを訪れた所属俳優小笠原祐二に声をかけると、空いているから一緒に行く、ということになった。
初めて見た能の世界は、良太が思っていた以上に良太を引き込み、その動きや謡いにいつの間にか夢中になっていた。
終わった後、小笠原の行きつけの居酒屋に二人で立ち寄った。
ビールで乾杯すると、小笠原は次々と出てくる料理を食べながら取り皿に取り分けていく。
二人とも腹が減っていたので、とりかわ、ねぎま、キモ、餃子、唐揚げ、もつ煮込み、たこわさ、ナスの揚げびたし、カキフライ、シーザーサラダ、刺し盛りと片っ端からオーダーした。
「ちぇ、本谷ほどじゃないけど、これでも昔は女の子にきゃあきゃあ言われたこともあったんだぜ」
「へえ」
自慢げに話す小笠原に、良太はさして興味もなさそうに相槌をうち、ねぎまを齧る。
四人掛けのテーブル席がそれぞれパーテーションで区切られていたし、アイドルのように追っかけがいるわけでもないので、小笠原が店に入ってもそうと気づかれてもいないようだった。
「このやろ、ちょっとはよいしょしたらどうなんだよ」
「何で俺がお前をよいしょ?」
「てめ、マジで聞きやがったな」
「プライベートなんだから、目立たない方がいいに決まってるだろ」
食べることに集中している良太は、サラダを口に運ぶ。
「ちぇ。まあ、いいけどさ、さっきの、俺、何か、すげえもん見たって感じ」
「急にどうしたんだよ」
「いや、ホンモノってああいうののことを言うんだなってさ」
小笠原の言動は、良太も口にしそうなものだったので、良太は頷いた。
工藤にバカにされるのは俺だけじゃない。
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