八月が終わっても暑さはなかなか去らなかったが、夜ごと欠けていく月は煌々と東京の夜を照らしている。
世の中はあちこちで災害や紛争に見舞われ、世界中に不穏な空気が充満していた。
相変わらずの物価高に加え、無能な政府が居座っている日本でも人々の安寧な日々はまだ遠い。
ただ月下のひと時だけが生き物にいくらか穏やかな眠りをもたらしていたが、やがて東の空に明けの明星が輝き、朝の訪れを告げる。
どこかでけたたましい楽音が響いている。
もはや「絶対起きる音楽」と勧められたデスメタルには条件反射で、広瀬良太は居心地のいい眠りから身体を起こした。
「おい、あの騒音をいい加減やめろ」
隣から超絶不機嫌な声がした。
「…だってあれがないと起きらんないし……」
「意識がガキだからだ」
「……ちぇ、遅れたら怒るくせに」
言い返しつつもまだ脳が覚醒していない良太は起き上がったまましばしぼんやりしていたが、ベッドを降りて騒音を鳴らし続ける携帯を止めた。
ここ東京は乃木坂にある青山プロダクション。
キー局時代、鬼の工藤と異名を取った敏腕プロデューサー工藤高広が興したこの会社は、テレビ番組、映画等の企画制作及びタレントの育成、プロモーションが主な事業内容で、規模は小さいがあらゆる面で先の見えないこのご時世にあって右肩上がりの業績を挙げている。
自社ビル七階には社長の工藤の私室と、社員寮として良太が使っている部屋が隣り合っているが、その実、中は以前工藤が壁をぶち抜いたドアで二つの部屋はつながっていた。
プロデューサー兼社長秘書の肩書を持つ良太は、業界関係者の間では今やあの鬼の工藤の懐刀などとも言われているらしいし、社内では重要な司令塔として認識され、良太が不調となれば誰もが気を使う存在であり、所属俳優の中川アスカからは「何をやったのよ」と工藤が痛くもない腹を探られることになったりする。
「今から仙台か?」
「ええ、新田さんの都合で、今日は三時過ぎじゃないと時間が取れないんで、今夜一泊して、明日の夕方までには帰る予定です」
「ふーん」
昨夜接待から戻ってきた工藤に呼ばれて、どうやら面白くない相手だったらしい工藤の飲みなおしに付き合った良太は、そのままベッドまで付き合わされた。
もっとも工藤に引き寄せられると、明日は遠出するから云々という抗議のセリフとは裏腹に身体の方は勝手にホイホイ工藤に従順になるから手に負えない。
「朝飯用意しとくんで、ちゃんと食べてくださいよ」
良太はおざなりにジャージを羽織り、携帯を手に隣の部屋へと移動した。
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