好きだから 220

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 十五号の油彩は佐々木が前に描いたものだということしか、直子は聞いていなかった。
「友香ちゃんに言われて見せてもらった時は正直、驚いた。今まで見たことがない切り口、マチエール、動きの斬新さと温かい色が妙にノスタルジックで引き寄せられるものがあった。佐々木が天才だとは院の教授陣も事あるごとに口にしてたし、俺もあいつの造るものにはよくハッとさせられるが、あの絵は如実にヤツの天才性が窺えるものだった。こっそり知り合いの油彩の教授に見せたことがあって、あんな小さな絵でさえ、教授を唸らせた」
 春日はそこで言葉を切って、しばし逡巡してから口を開いた。
「佐々木には話してないが、友香ちゃんが佐々木の傍にいると絵が描けないと思った一つの理由があの絵だと俺は思っている。実際、友香ちゃんが描いた絵はうまくいかなくて、隣で久しぶりに佐々木が何気なく描いたあんな絵を見せられたら、俺が彼女でもしばらく立ち直れない。いくら表現は自分だけのものだとしてもな。そして質が悪いことにあいつの場合、自覚のない天才性なんだ。呑気そうな雰囲気で周りにそれと悟らせることもない、柔軟でいいと思ったら何でも吸収するし、それがいきなりドカンとくるから余計人を圧倒しちまう。あの美貌と同様、まあ、どちらかというとそっちの方が取りざたされてるがな」
 直子はようやく少しだけ友香の心を理解した気がした。
「友香さんは立ち直ったんだね。二月に彼女の絵を見たけど、すごく力強い感じがした」
「確かに。友香ちゃんは自分の絵を取り戻した。あのまま一緒にいたら、彼女は壊れてしまうか、或いは筆を折って佐々木の妻だけになったか。ただ、彼女が壊れたり筆を折ったりしたら、人の人生を変えてしまったという重さで佐々木が今度は苦しくなっただろう。ま、それはわからないが」
「それって、私は違うと思う。壊れたり、筆を折ったりって、そんなの自分のことじゃない。佐々木ちゃんのせいにするのはお門違いよ」
 春日は、おおっという顔で直子を見た。
「なるほど、正論だ。直らしいな」

 


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