好きだから 94

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 後輩たちにたたみ掛けられているうちに、閉館を知らせるアナウンスが流れ始めた。
 佐々木は後輩たちに取り巻かれて、先ほどの女性に挨拶もしていないことに気づいて辺りを見回すと、女性はニコニコしながら軽く会釈をして出口へと向かった。
 佐々木も後輩たちと別れて美術館を出ると、不忍の池方面へと歩いていた。
 すると向かい側の歩道に先ほどの女性がいて、国産の渋いセダンが女性の前に停まった。
 運転席を降りた男は女性と同年配だろうか、助手席のドアを開けて女性を乗せると笑顔を見せながら車で走り去った。
 ちょうど子供が巣立った頃の夫婦といったところだろうか。
 佐々木は勝手に想像してそんな夫婦にはなり損ねたなと苦笑すると、地下鉄の駅へと木枯らしが吹きつける道を歩き出した。
 何気なく顔を上げた佐々木の目にビルの巨大電光掲示板が見えた。
 フジタ自動車の新車が現れてやがて消えた。
 次に現れたのはフードを被った男が走っている映像だ。
 スポーツウエアブランド『アディノ』のフリースパーカーを着た沢村だ。
 フードを外し、頭を振る。
 飛び散る汗。
 鍛えられた身体の動きがゆっくりとスローモーションで映し出される。
 走っている音、息遣いを増幅させただけで言葉もない。
 最後にシャープな音とブランド名のナレーションだけがロゴと共に入る。
 初めて沢村を映像にした仕事だった。
 そうやって沢村と創り上げていく時間は至福の時だったのだ。
「しゃべらないとまともなんだよな、あいつ」
 隣でカットを見ていた良太が茶化して言ったのを思い出した。
 気づくと、そこに立ち尽くしていた。
 視界がぼやけるのを感じて佐々木ははっと我に返る。
 あかんわ、何やね、これ。
 慌てて溢れそうになっていたものを手の甲で拭いながら、再び歩き出した。

 やっぱ………会いたいな。
 最後に、いっぺんだけ……。


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