上弦の月2

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 ひとみは笑いながら、下柳の背中をバシと叩く。
「バッカ言え! 俺はただ名前が名前だし………おい、……までってことは、つまり……」
 確かに千雪の美貌にあてられた感もないではない下柳はがらにもなくうろたえた。
 世間で知られている推理作家小林千雪のぬーぼーとしたダサいオヤジの姿が実はコスプレで、本人は稀有な美貌の持ち主だと、先日青山プロダクションの裏庭の桜を愛でる花見の席でネタを明かされた時は酔っていたが、素面になると下柳の中でインパクトがぶり返した。
「まっさらじゃあないみたいだけど、昔の話よ」
 ひとみはコクコクとグラスをあおる。
「おい、じゃ、やっぱ……」
「おいしい~! おかわりお願い」
 手持ち無沙汰に火をつけた煙草をくわえる寸前で言葉に詰まる下柳をよそに、ひとみは元気いっぱいだ。
「ひとみさん………もうちょっとゆっくり……」
 のそのそとカンパリーソーダに口をつけているマネージャーというより付き人感が強い須永が横でため息をつくが、そんなものはひとみの耳をさらりと通り抜ける。
「昔ね、軽井沢で一度会ったことがあるのよ。そりゃあんなきれいな子、忘れるわけないわよ。ほんっと驚き! それがあの小説家センセだったなんて。俳優顔負けの化けようよね~」
 今更ながらに感心したようにひとみはうなずく。
「野郎、まさか、それで続いてんじゃねーのか?」
 下柳は苦々しく口にする。
「それはないみたいよ、どうやら。だって……」
「根拠は何だ? 俺は良太ちゃんが可愛いからな、あんな健気なヤツを泣かせたくないだけだ」
「ヤギちゃんも会ったでしょ? センセの隣にむっつりした相棒がいたじゃない」
「ああ、あのタラシの御曹司か?」
 そう呟いた下柳の耳に、ひとみは囁く。
「デキてるんだってよ、あの二人」
「はああ?」
 素っ頓狂な声を上げる下柳に、「大きな声出さないでよ」とひとみが眉をひそめる。
「冗談…だろ? 世の中、名探偵コンビとか茶化してる…」
 頬杖をついて、うふ、とひとみは笑う。
「だから、あんなのが傍にいたらヤギちゃんでもクラッとくるでしょ。とっくに確かめたのよ、高広に」
「ほんとかよ……」
 まだ半信半疑の下柳は、ぼんやりとグラスの氷をカラカラ鳴らす。
「あら、あれって小田センセじゃない?」
 ひとみに言われて下柳が目をやると、カウンターの向こう端にカッチリとしたスーツの男がもう一人、こちらも身だしなみのいい渋い二枚目と語らっている。
「ああ? 確か、工藤の弁護士先生だったな」
 ひとみも下柳も、工藤の大学の同期であり、今は青山プロダクションの顧問弁護士をしている小田にはそれぞれに面識があった。
「声かけてみよ」
「よせよ、大事な……」
 下柳の止める間もあらばこそ、ひとみはささっと小田の横に立ち、「お久しぶり、小田センセ」と俳優の顔で微笑んだ。
「おや、山内さん、ひょんなところで会いますね」
 小田は少しばかり生え際が後退した顔を上げてにっこり。
「そちらも弁護士先生? なんかただものじゃないって目をしてらっしゃるわ」
「こいつ? はは、そうでしょう。荒木って言って検事やってるんですよ、俺と同じ工藤の同期で」
「工藤さんの? 検事さんなんだ?」
 いつもは高広と呼び捨てだが、一応二人の前では儀礼的に『さん』をつけてみる。


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