二月に良太も一度下柳とともに知床に足を運んだ。
ほとんどとんぼ返りだったが、あの究極の自然にほんの少し触れただけでも身体が震えた。
「ありのままの状態で撮りたいからな」
下柳の意気込みにもままならぬものがある。
「絶対、カッコいい作品になりますよ」
思わず握り拳に力が入る。
工藤はそんな良太を見てまたフッと笑う。
ほんの十数分で車は乃木坂にある青山プロダクションの前に着いてしまった。
「あ、じゃ……、お先に失礼します」
なるべく明るく言う良太だが、心の中は後ろ髪引かれまくりだ。
ここでタクシーじゃなければ恋人同士ならキスのひとつもするよな。
タクシーじゃなくても、工藤じゃあんまし期待できないか。
女なら、…や、千雪ならこうさりげにキスとかしてもサマになるかもしれないけどな~
あ~あ~
そんなシーンをつい想像までしてまたぞろ千雪と比べてしまった良太はタブレットの入ったリュックを掴む。
第一、そんなお名残惜しけりゃ、高輪行くって言えばよかったんだ。
「最初から飛ばすと息切れするだけだぞ。ちょっと力を抜け」
工藤の手が車を降りようとした良太の頭をくしゃりとやった。
途端、ぎゅっと良太の心臓が軋む。
「は…あ……じゃ……お休みなさい…」
かろうじてぺこり、と良太は頭を下げた。
唇の端で笑う工藤を見て、やっぱ一緒に行きたい! と心の中で喚いてみるのだが、今更言えやしないし。
そこはしょーもない意地ってやつで。
タクシーが走り去るのを見送って、良太はガクリと肩を落とす。
あ~あ~、チョー情けねぇ。
「ちぇっ、ちぇっ、あっさりしたもんだよな、行かないって言えば、そうか、だってさ。なーんだよ、クソオヤジ!」
悔し紛れの憎まれ口も出てしまう。
工藤にとってはあくまでも『ご執心』なのは千雪で、やっぱ俺は手のかかる部下ってとこなんだろうさ。
工藤の手が触れただけで頭のてっぺんから身体の方まで熱を帯びてくる。
むしゃくしゃする気持ちとは裏腹な自分をもてあましながら良太は警備員に会釈するとエレベーターのボタンを押した。
上着を脱いでソファに引っ掛け、ネクタイを緩めると、相変わらず愛想のない部屋だと思いながら工藤はシャワーで汗を流した。
鴻池産業系列の不動産会社が管理しているこのマンションは、全体が緩やかなくの字になっており、東棟と南棟は十二階まで、中央棟は十一階に屋上プールを持つスポーツクラブがあり、マンションの住人であれば利用できるようになっている。。
税金対策のためもあって、工藤が曽祖父から相続した横浜にあった土地や屋敷、いくつかのビルを売った工藤は、大学からMBCまでの先輩にあたる鴻池物産社長の鴻池に勧められて東棟のペントハウスを購入した。
考えてみると荒木や小田とともに鴻池とは腐れ縁といえるだろう。
自分に対する後輩という以上の執着を感じてはいたものの、感謝こそすれそれが工藤にとってマイナスになるようなことはなかったし、何より鴻池は持って生まれた環境や財、それによる力を使いこなすことのできる男だったから、遊びも半端ではなかったが、一緒に仕事をしていて難関と思われるプロジェクトをやり遂げる小気味よさを幾度も味わった。
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