そんなお前が好きだった6

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 家に戻ってからバスルームと簡単なキッチンを増築したが、離れは割と広いリビングと奥に六畳ほどの部屋があり、響は高校を卒業するまでその部屋を寝室にしていた。
 この家に戻ることは祖父の訃報を伝えてきた電話で申し出たが、父親は、そうか、と言っただけだ。
 高校を卒業すると同時に家を出てから十年、一度も戻らなかった。
 祖父は留学中の響を尋ねてヨーロッパまで来てくれたし、電話やビデオ通話で話をしたが、父親とはまさしく十年ぶりとなった。
 年を取ったなというのが第一印象だったが、頑なで毅然とした冷たい印象は変わっていなかった。
 あんな賑やかで楽しい祖父と親子だというのが不思議なくらいで、東京で弁護士をしている叔父の方が祖父に似ていた。
 離れの玄関は独立しているので、父親と顔を合わせずに済ませることもできるのだが、食事は十五年くらいもうずっと来てくれている家政婦の下出さんが母屋のキッチンに用意をしてくれているのだ。
 離れと母屋は廊下でつながっていて、雨の日や雪の日は屋根だけなので湿気も寒さもダイレクトだが、食事が作ってもらえる環境というのは響にとってはありがたいことだった。
 何のかのいっても、俺って軟弱だよな。
 オヤジと折り合いが悪いとか言いながら、ちゃっかり実家に戻ってきてるんだから。
 食費と家賃として月五万を父親に渡しているが、地味にリサイタルや演奏会で貯えてきたものも増築や引っ越し費用で大半が消えてしまった。
 とにかく稼がないとな。
 どうせ父親はピアノ弾きなどごく潰しとか思っているのだろう。
 音大を受けたいと言った時に、もう既にそんなことを言われていた。
 父親の出たT大とは言わなくても、せめて卒業しても就職に有利な普通の大学にでも入っていれば、ここまで壁ができることもなかったかもしれない。
 もっとずっと子供の頃は、父親の笑顔も見たことがあった気がする。
 母親の手料理を囲む団欒。
 そんな穏やかな幸せが続いたのは、母親が出ていくまでのことだ。
 響は中学に入ったばかりだった。
 ピアノを教えてくれたのは音大を出た母親だった。
 母親はピアノ教室をやりたかったらしいが、祖母に反対されてできなかったらしい。
 堅物の銀行員と、音楽を愛する母親の間に亀裂が入り始め、母親から笑みが消えていった。
 二世帯住宅で祖父と祖母は一階に、響ら三人は二階に住んでいたのだが、祖母は父親が東京から連れてきた母親をあまりよく思っていなかった。
 美しくて華奢でどこか女優のような華があった品のいい母親は、響にとっては優しくて明るく温かな手をしたこの世で一番大切な存在だったから、その母親にきつくあたる祖母が響は大嫌いだった。
 体裁ばかりを気にして、ことあるごとにうちの嫁は云々と口にする祖母に、思い余った響が言い返したことがあった。
「嫁じゃなくて、美晴です」
 睨み付ける響を、祖母は、嫁に似て可愛げのない子だ、などと言い捨てた。
 以来、響は祖母をほとんど憎悪した。
 持ち前の明るさですぐにご近所にも溶け込み、友人知人も多かった母親だが、銀行の支店長の妻という夫から押し付けられた位置におそらく耐えられなくなったのだろう。

 


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