「失礼ですけど、モデルさんとかじゃございませんの?」
女性は眼を見開いて問いかけた。
「いえ、そんな御大層なものでは」
「あら、あんまりお綺麗だから。関西の方ですの? 私も、神戸出身なんですのよ」
佐々木のアクセントに気づいたのだろう、女性は人懐こそうに語りかけてくる。
「ああ、母が京都なので」
四十代くらいだろうか、ショートカットがよく似合う、はっきりとした顔立ちの美人で、雰囲気や服装からして富裕層だろうと思われた。
「まあ、私も中学高校と京都の学校に行ってましたのよ。母の母校があって、あの頃はよかったわ」
何だか無邪気な人だと、佐々木は苦笑する。
「でも久しぶりにボッティチェリの絵を拝見できて、やっぱりいいわね。若い頃、ウフィッツィで見て夢中になって、一か月くらい、フィレンツェにいて通ったわ」
「そら羨ましい。俺も初めて本物を見た時は、いっそ住みたいくらい思うたもんですが」
ボッティチェリの話からレオナルドやフィリッポ・リッピなどの話になると、佐々木もつられてたった今会った相手だということも忘れて話が弾んでしまう。
「そういえば、あなたも絵をお描きになりますの?」
「たまに。今は映像関係の仕事をしてるので、なかなか時間が。あなたこそ、絵描かれるんですか?」
「いえいえ、子供の頃はお絵描き好きでしたのよ。でも、今は観る専門ですけど」
その時、背後から、「佐々木先輩!」という声がして、何人かの男女がわらわらと近づいてきた。
「やっぱり! 最近、院の方に顔出してくれないし、去年の学祭も来てくれなかった!」
佐々木の後輩にあたる芸大の院の学生たちだった。
「ああ、悪い、ここんとこ仕事が詰まってしもて」
「わかってますって! 佐々木さん独立してからの活躍、すんげーみたいですね」
「前に雑誌にも出てたし、すんごくきれいんなったし被写体としても活躍とか?」
「ないない!」
後輩たちにたたみ掛けられているうちに、閉館を知らせるアナウンスが流れ始めた。
佐々木は後輩たちに取り巻かれて、先ほどの女性に挨拶もしていないことに気づいて辺りを見回すと、女性はニコニコしながら軽く会釈をして出口へと向かった。
佐々木も後輩たちと別れて美術館を出ると、不忍の池方面へと歩いていた。
すると向かい側の歩道に先ほどの女性がいて、国産の渋いセダンが女性の前に停まった。
運転席を降りた男は女性と同年配だろうか、助手席のドアを開けて女性を乗せると笑顔を見せながら車で走り去った。
ちょうど子供が巣立った頃の夫婦といったところだろうか。
佐々木は勝手に想像してそんな夫婦にはなり損ねたなと苦笑すると、地下鉄の駅へと木枯らしが吹きつける道を歩き出した。
何気なく顔を上げた佐々木の目にビルの巨大電光掲示板が見えた。
フジタ自動車の新車が現れてやがて消えた。
次に現れたのはフードを被った男が走っている映像だ。
スポーツウエアブランド『アディノ』のフリースパーカーを着た沢村である。
フードを外し、頭を振る。
飛び散る汗。
鍛えられた身体の動きがゆっくりとスローモーションで映し出される。
走っている音、息遣いを増幅させただけで言葉もない。
最後にシャープな音とブランド名のナレーションだけがロゴと共に入る。
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