だが、タイミング的なものもあるが、同じ空間にずっと一緒にいても、しっくり合いすぎて家族のような感じが互いにベストだという気がしている。
「ほんまに、直ちゃんいないと、俺、あかんわ」
佐々木はぼそりと口にして、箸を置いた。
天丼にしたのだが、どうもここ数日食欲が落ちている。
疲労困憊なのは身体だけではないのだろう、かろうじて食べ終えると、マグカップを片付けてから、キリのいいところでパソコンの電源を落とし、岡持ちを外に出して、佐々木はオフィスを施錠した。
静聴松風、静かな茶室で釜の湯が鳴らすしゅんしゅんと何とも耳に小気味よい音のことをいう。
この音が聞こえると、茶が美味しい頃合いなのだそうだ。
さささっときれいな所作で直子が点てるお茶を、客として入った佐々木がいただく。
淑子が言っていたように飲み込みもよく努力家な直子が上達するのは目に見えて早かった。
このご時世でも花嫁修業なる名目で通ってきている弟子たちもまだまだいる。
淑子は自他ともに厳しい人間だが、初心者にはさほどきつくないものの少し上達するとビシバシ怒られ、やめていく者もいる。
その厳しさにめげることもなく、しかも先輩弟子を追い越す上達振りを見せても、あのキャラでしっかり先輩をたてることをおろそかにしない直子は、他の弟子たちとも和気あいあいとやっていた。
上級者だからこそ佐々木など弟子たちの前でも淑子に怒られっぱなしだが、稽古が終わればおっとりと弟子たちを見送る若先生には一門の皆は一様に好意的だ。
佐々木は弟子たちを見送った後でまた一通り稽古をつけてもらい、さらに片付けを終えると、大抵日の境を超える。
炉の季節になると釜が大振りになる。
今時は電気炉を使うことが多いようだが、淑子は炭を使う。
炭焼き職人が年々少なくなり、従って手に入る炭も高くなる。
近年、ずっと懇意にしてもらっていた職人が亡くなり、後を継ぐ者もなく、つてを頼って遠く、今は能登の職人から届けてもらっている。
茶の湯の炭は品質の良いクヌギから造られ、今、佐々木が行っている炭点前というものがあるように形の美しさや大きさなど、流派によっても違う。
炉の季節は特に、炭と香の微香が相まって茶室を満たすのが佐々木は好きだった。
「そういえば今年の大掃除に、沢村さんは来てくださいますの?」
淑子の言葉に、香合を拝見に出そうとしていた手が止まり、佐々木は危うく香合を落としそうになってかろうじて堪えた。
やから何やね、このいきなりな展開は。
「……いえ、今年はダメです。色々忙しいらしうて。三十日は業者を手配しました」
「そうですの」
それだけの会話だったが、落ち着いていた心の内が見事に混乱して、以来、佐々木が一手動かすたびに淑子の叱責が続いた。
全く、やからオカンに会わせたりするのは嫌やったんや。
それに、土地のことかて、勝手に買うたりするよって。
まあ、土地は不動産業者にまた売らせるしかないやろけど。
まだ、何か建てたりする前でよかったわ。
建ててからやったらまた面倒なことになる。
「あんなみっともない点前で、初釜なんてまともにでけしまへん。心して精進しなさい」
稽古が終わっても淑子の叱責は手を緩めることがなかった。
「はあ、すみません」
「ほんまに、返事まで間抜けてます!」
はああ、と脱力した佐々木は、とろとろと片付けに取り掛かった。
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