「そうですか……やっぱり、社長の素性話さないといけませんかい」
「後で知って、途中で辞められるよりはいい」
二人の会話は何やら深刻そうだった。
聞きたくなくても聞こえてしまう距離にいるから仕方がないが、どうやら宮島教授が話してくれた工藤の生い立ちが関係しているらしいと、千雪は勝手に想像する。
指定暴力団中山組組長の甥、て、ちょっとそこいらのヤクザの名前とはやっぱ違うわな………
ここでなるほど、やっぱりねと相槌を打つこともできず、千雪は黙ってコーヒーを飲む。
面倒なことに、今ここにいる自分は工藤の素性を知っているはずもないことにしておかねばならないのだ。
もっとも工藤は工藤で、目の前にいるのが以前一度顔を合わせたことのある、しかも宮島研究室の小林千雪本人だという確信を九〇%以上持っていたので、ポーカーフェイスを装う千雪のことを興味深深で見ていた。
「ああ、ただ小田が、万里子のマネージャーやってもいいってヤツを紹介してくれることになった。俺の素性も話した上でOKを取り付けたらしいから、しばらくは手が開いている時は事務所の留守番も頼むことにする」
「さようですか、とりあえずはよかったですな」
「まあ、会ってみなけりゃ何とも言えないが」
平造が食器をトレーに載せてキッチンに引っ込むと、工藤と千雪の間にしばし沈黙の時間が過ぎた。
「何のレポートをやってるんだ?」
唐突に工藤が尋ねた。
「……………まあ、芭蕉、とか?」
「ほう? 古文の研究か?」
「まあ、そんなとこ」
工藤はじっと千雪を見つめ、ニヤリと笑う。
「いい加減、名前くらい教えてくれてもよくないか? ああ、俺は工藤高広」
「強姦魔に教える名前はあれへん」
千雪はきっぱり言い返す。
「未成年じゃ、ないよな?」
「やったら、またあんたの罰状が上乗せされたんやけどな」
「口の減らないヤツだな。どうだ? 俳優とかやってみないか? 俺が大々的に売り出してやるぜ? その美貌にその度胸なら、あっという間にスターダムにのし上がること請け合いだ」
テーブルの向こう端から、工藤はそんなことを言い出した。
「悪いけど、全く興味ないし。昔からその手の勧誘にはうんざりしてる」
すると工藤は「なるほどな」と妙に納得したように頷いた。
千雪は少し怪訝な顔で工藤を見たが、工藤は小林千雪の人相風体のギャップの理由をそれで納得したのだ。
「ブランデーでもやるか?」
「遠慮しとく。レポートあるんで、失礼します」
こんなエロオヤジの相手をしている暇はなかったのだと、千雪は立ち上がり、ちょうどキッチンから出てきた平造に、「ごちそうさまでした」と声をかけた。
「あとでお茶をお持ちします」
「おおきに」
平造を振り返り返事を返すと、リビングの階段を上がって部屋に戻る。
「おっちゃんは、何や、ええ人みたいやけどな」
エロオヤジの部下にはもったいない。
宮島教授の話に出てきた男が平造なら、昔刑務所に入ったことがあるという。
平造と話をしている限り、罪を犯したとしてもおそらく何かよほどの事情があったのではないかと、勝手に推測する。
「……か、あれやな。ヤクザの世界、代理ってやつか………」
司法修習の際、いろいろな犯罪者を知ることになったが、どんな人間の行動にも何らかの理由があるのだろう、と千雪は思っている。
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