俺にご丁寧に血の付いたナイフを持たせて消えた真犯人は、素人だな、俺の服に返り血が着いていないだろう。
工藤は宥めたりすかしたり声を荒げたりする刑事の顔を見ながら冷静に分析した。
だが、この能無しどもは、何かこじつけて俺に自白を強要するつもりだ。
T、とその世界では呼ばれている男の助言が工藤の脳裏に蘇った。
T、表の名前を波多野樹という。
この男とは最初は電話でのやり取りのみだったのが、近年、あからさまに工藤に危害を加えようとするものが現れた際に、表の顔を知った。
波多野はMEC電機広報部長として工藤に接近してきたのだ。
おそらく波多野はこれまで影で工藤に迫る災いを払いのけてきたのだろう。
中山会の伯父が波多野の背後にいるのだろうことは察しがついた。
最近は暴力沙汰に巻き込まれることもなかったし、よって波多野が連絡をしてくることもなかったのだが、万が一、この事件が裏で中山会の跡目争いなどにつながっていたとしたら。
もし、暴力団絡みであれば既に波多野は動いているはずだ。
全国的に暴力団員は減少傾向にあるとはいえ、中山会はその世界では依然大きな勢力を保っている。
中山会の現組長は工藤の伯父にあたるが、工藤は縁を切っているし、組長の妹にあたる工藤の母親はとうにいない。
ただ、伯父には娘が一人いるだけだ。
水面下では数年前から傘下の島本組長を次期中山会組長に据えようとする一派と、若頭の息子を押す芦田組系列の間で低次元の抗争を繰り返していたが、若頭の入院騒動以来、争いがエスカレートし、若頭は心臓と糖尿の持病とつき合いながら事態の収拾に努めていた。
ところが若頭の息子では心もとないと思う島本組の息のかかった連中が想像をたくましくして、芦田組の一派が工藤を担ぎ上げるに違いないという理由で、工藤は既に数回襲われていた。
そのたびごとに陰で動いて波多野が片をつけていた。
だが、その一派が手法を変えて、今度は工藤を殺人犯に仕立て上げ、社会から葬ろうとしたということも考えられなくはないのだ。
「俺はどうなろうとかまうものか。それを認めたら俺は自分の嫌悪するヤクザと変わらないことになる」
波多野はどう片をつけたかは言わないが、それに対して工藤がそう言ったことがある。
「あなた自身ではなくあなたの大切な者に災いが降りかかるとしても、そんなことを言っていられますか?」
波多野のその言葉に、工藤は口を噤むしかなかった。
確かに、良太は一本気な正義感から、工藤に何かあったとしたら突っ走るだろう。
それは今までにも重々経験済みだ。
ホテルで目覚めた工藤は明らかに殺害されたとみられる血まみれの女を目にし、血の付いたナイフを手にしていたことに気づくと、咄嗟に良太に連絡をしようとしてやめた。
これが暴力団絡みではないとは言えないと感じたからだ。
工藤は現場を携帯の動画に収め、それを千雪に送り付けた。
「薬を盛られた、俺に濡れ衣を着せようという輩がいる。小田に連絡を取ってくれ」
かろうじて警察が駆け付ける前に、動画も千雪に連絡を取った履歴も削除した。
確かに凶器を持っていたのは逃れられない証拠ともいえる。
タレコミがあったらしく、警察がやってくるまでに時間はかからなかった。
秋山が麻布警察署に駆け付けると、入り口付近で良太がウロウロしていた。
「良太、工藤さんは?」
「会わせてもらえませんでした。でも小田さんが今接見しています」
秋山と良太はそれから小田が出てくるまでじっと待っていた。
やがて小田が出てきて言った。
「とりあえず、オフィスに行こう」
良太は帰る際、一度振り返り、悔し気に唇を噛んだ。
だが、ここで落ち着かなければ、何も進まないと良太は自分に言い聞かせ、三人はそれぞれの車で青山プロダクションへと向かった。
会社の前で三人を待っていたのは小林千雪だった。
「すみません、今、開けます」
良太はオフィスの鍵を開けて三人を招き入れた。
深夜のオフィスで、秋山、小田、千雪はしばらく言葉もなくソファに座っていた。
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