良太もうすぼんやりとした頭まで重くなってきて、コーヒーでも飲むか、などと考えていた時、広瀬さん、と上から声が降ってきた。
まともに広瀬さんなんて呼んでくれるのは、数えるほどしかいない。
案の定、本谷がにっこり笑いかけていた。
「よかったら、どうぞ」
差し出されたのはドリンク剤だ。
「俺、疲れてる時とかよく飲むんですよ」
「あ、りがとうございます」
良太が礼を言うと、ここいいですか、と本谷が隣に腰を降ろした。
「俺、営業やってた時、飛び込みとかもやってたから、怒鳴られたり、何でそこまで言うかなと思うような罵声を浴びせられたりしたんですよ。もうだめだとか思って落ち込んでた時、先輩がドリンク剤くれて、疲れた時だけじゃなくて、心がへたってる時も効くぞって」
「なるほど……営業とか大変そうですもんね」
心の中で、この人、だから気配りできるいい人なんだ、と良太は改めて思う。
「いや、広瀬さんも工藤さんも、もっと大変そうですよね。この業界って特に人との絡みが全てって感じだし」
人との絡みが全てか、撮影だけに関して言えば、ま、そうだよな。
良太はぼんやり頷いた。
「昨日の夕方、立ち寄って下さった時、工藤さん、かなりお疲れみたいでしたし」
いきなり良太の頭は覚醒した。
え、昨日、来たんだ、工藤。
…………なーんだ…………。
だったら俺、わざわざ来なくてもよかったじゃんね。
そっか、やっぱ工藤、来たんだ。
本谷のこと気になって。
何だか思っていた以上に、ことは先へと進んでいくようだ。
高雄だって、俺、行く必要あり?
工藤いるのにさ。
何か、もう、行きたくねえ。
どんな顔して工藤に会えばいいんだよ、俺。
「………広瀬さん?」
「あ、いや、明日、俺、どうせ京都行くんならって、甲子園寄ってくることになっちゃったんですよね、『パワスポ』の取材で」
良太はさり気に話題をすり替えると、まだ鮨がいくつか残っていたが、もう入りそうにもなく、弁当の蓋を閉じた。
「そうなんですか、ホントに忙しいですね、お気をつけて」
にっこり笑う本谷は実に清々しい。
「ありがとうございます。撮影頑張ってください」
「はい」
やがてスタンバイの声がかかり、撮影が再開された。
良太はしばし撮影風景を見ていたが、静かにロケ現場を後にした。
カットの声がかかると、アスカはあたりを見回した。
「秋山さん、良太、もう行っちゃったの?」
「あれ、そのようだね、高雄まで車で一時間くらいか」
「そっか。ま、いいけど……」
午後になると、晴れていた空は少し曇りがちになっていた。
「明日も早朝ロケですから、今夜はあまり遅くならないようにしてください」
「わかってるわよ」
アスカは一応そうは言ったものの、今夜良太を部屋に呼んでいることは言っていなかった。
「明日は午後から雨の予報ですが、朝は何とかもってくれればいいんですが」
「流は今夜こっちに来るの?」
空の心配をしている秋山に、アスカは思いついたことを口にする。
「そのようです。彼のスケジュールはかなりタイトのようですよ」
「流も忙しいのに、よく受けたよね、この仕事。そういえば、本谷のマネージャ、今回もついてこないわけ?」
「まあ、もうおひとり担当されているのが、少々難しい女優さんですからね。本谷くんがしっかりしているので、ってことでしょう」
「にしても、ちょっと放りっぱなし過ぎだと思わない?」
「工藤さんもそれを少し気にかけてるみたいですよ」
アスカはタブレットを覗き込んでいる秋山を振り返った。
「工藤さんが?」
「ええ」
「何か、珍しくない? 工藤さんがよその俳優のことを気にかけるとか」
「そうですか?」
秋山はたいして興味もなさそうに言った。
「ねえ、良太ちゃん、もう行っちゃったの?」
同じことを後ろから来たひとみが聞いた。
「そうみたい。ねえ、ひとみさん、ちょっと」
アスカはひとみを連れて奥の方に移動した。
「秋山さんがさ、工藤さんが、やっぱり本谷のことを気にかけてたって」
「あらま」
「うーん、絶対それって、らしくなくない?」
「まあ、そうね」
二人はしばし口を噤んだ。
「ま、とにかく、今夜よ。あたしは高雄に行ってくるわ」
ひとみが言った。
「あたしは良太を待つわ。でも結構、良太もそうおいそれと本音は吐かないのよね~」
「でも夕べのあれで、良太ちゃんの最近の言動とかの理由がようやくわかったもんね」
ひとみはそう言いつつ頷いた。
「まさかよね~、あの、本谷が」
昨夜のことをまた思い出して、アスカは感慨深げに言った。
昨日、夕方五時頃のことだった。
撮影中にふらりと高雄から工藤がやってきて顔を覗かせた。
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