風そよぐ41

back  next  top  Novels


「にしたって、あの子のマネージャー、いくら何でも放りっぱなし過ぎない? いくら大手だっていってもあの事務所、何考えてるんだか」
 ひとみは文句を言いながらグラスを空けると、お代わりを頼んだ。
「思いのほか今までの仕事が順調だったんで、本人に任せてれば何とかなると思ってるんだろう。あの事務所は人手不足というより、手を抜きすぎだ」
「ふーん、それで高広が本谷の面倒を見てるってわけ?」
 何やら意味ありげなセリフに、工藤はひとみを見た。
「でもさ、本谷ばっかにかまけてないで、気にかけるべき相手は他にいるんじゃない?」
 誰のことを言っているのかすぐにわかって、工藤は眉根を寄せた。
「まさか高広、本谷に鞍替えしようなんて思ってるんじゃないでしょうね?」
「何だ、それは」
 イラついて工藤はグラスを空ける。
「身に覚えがなければいいんだけどさ」
 そこで言葉を切って、ひとみはグラスの中の琥珀色をしばし眺めた。
「このままほっとくと、宇都宮にとられちゃうかもよ?」
 ひとみまで知っているのかと、増々苦々しい顔の工藤の前に、新しいラム酒が置かれた。
 くそ、宇都宮のやつ、札幌の時から良太を妙な目で見やがって。
 だがまさか、実際、工藤のオフィスにまで現れて良太を連れていくような真似をするとは思わなかった。
 しかも朝帰りだ。
 しっかり宇都宮が送ってきていた。
「良太のやつがそういうつもりなら、仕方ないだろう」
「ちょっと、何よそれ!」
 ひとみの声は意外に大きく、他の客が二人を振り返った。
「あたしが聞いた高広のろくでもない科白の中でも最低だわそれ」
 さすがに周りを憚って、ひとみは声を落としてそれでも憤りを含んだ言葉を放つ。
「もともと俺みたいな男の後を追ってきたところで、それこそろくでもないだけの話だ。宇都宮なんかの方が色々面倒をみてくれそうでいいんじゃないのか」
 工藤は鼻で笑う。
「ばかみたい。捻くれて拗ねたような言い方して。あんたがそんなだから、良太ちゃん、あんたの恩情にいつまでも甘えていられないとか、引っ越そうかとか、独り立ちしなけりゃとか、そんなことまで言い出したのよ」
 やはり良太は肩代わりした負債にずっと負い目を感じているのだと、工藤は改めて思う。
「いつまでもそんな負い目を引きずってまで俺のところにいる必要はないさ。辞めたいんなら肩代わりした金を引いたって退職金は十分つけてやるし、俺のところでなければ良太ももっと自由にやりたいことをやれるんじゃないのか」
 例えば宇都宮なら、あいつを別な形で羽ばたかせてやれるのかもしれない。
「呆れた、あんたほんと何もわかってないわよ、高広」
 険しい顔でひとみは工藤を睨み付けた。
「俺はもう二人も殺してるんだ、さすがにもう勘弁なんだよ」
 ふっと工藤が漏らしたのはおそらく本音なのだろうとは、ひとみも察した。
「何言ってるのよ、またそんな大昔の話を。ちゆきさんだって、村田ゆかりだって、高広が責任感じるようなことじゃないじゃない」
「俺が関係ないわけがないだろう。良太にしたって、一度は殺しかねなかった。お前も知ってるはずだ」
 それだけではない。
 表では俺がヤクザとは縁を切っていると言い張っても通用しないバカな連中がいる。
 工藤はTと名乗った男を忘れたことはない。
 裏で、俺の預かり知らないところで動いている者もいるのだ。
 工藤はいつぞや車で襲われた時のことを思いだしていた。
 その時、ひとみのバッグで携帯が鳴った。
 アスカからのラインで、工藤の様子を聞いてきたのだ。
 良太がやつれてるのは、工藤が本谷に乗り換えたとすっかり思い込んでいるからだ、と知らせてきていた。
 案の定である。
「いつまでも昔のことを引きずって、ほんっとにバカ、高広」
 業界では鬼と言われた工藤の逡巡をまたぞろひとみがぶった切る。
「忘れろとかどうでもいいとかって言うんじゃない、それより今、生きて、あんたのことを思ってくれる存在をないがしろにするなって言ってるのよ」
「教科書のような正論だな」
 既に工藤の手の中のグラスも空になっていた。
「茶化すんじゃないわよ! 仕事に疲れ切ってるところへ、あんたが本谷本谷って、あの子のことばっか追いかけてるから、良太ちゃん、高広が本谷に心変わりしたんだと思い込んだからじゃない」
「俺が本谷を追いかけた? 何を言ってるんだ」
 苦々しくも意外そうに工藤が聞いた。
「あら、こっちに来て高広を見てて、あたしもてっきりそうじゃないかと思ったわよ。珍しく何度も収録に顔を出すし、と思ったら本谷呼んで二人でこそこそ」
「何がこそこそだ」
 工藤はそこで一つ息をついた。
「本谷が必要以上に今までと勝手が違って役に思い悩んでいて、空回りして撮影が滞るのを山根が相談してきたんだよ」
「それはわかるわ。でもそれだけじゃないでしょ? 本谷、高広にラブらしいじゃない。告られた?」
 工藤はひとみを見た。
「何で知ってるって顔ね? だって『田園』の頃から、いつもならそこまで人のことを気遣ったりしない高広が、本谷のこと気遣ってたじゃない? 第一、鬼の工藤の顔を見て喜んで飛んでいくなんて、本谷見てりゃわかるわよ」
 勢いバーテンダーにお代わりを頼みながら、ひとみは矢継ぎ早に言った。
「ちゃんと断ったんでしょうね? 付き合ってる相手がいるって本谷に言ったの?」
「そんなことまで言う必要はないだろう」
 どうやらかまをかけられたと思った時はもう遅かった。
「何でよ?」
「そこまで大ごとな話じゃないだろう」
 はあ、とひとみは大きくため息をついた。
「これだから、わかってないっていうのよ。あのね、好きになった相手が気遣ってくれてるのよ、もう本谷なんか舞い上がっちゃってるわよ。可哀そうじゃない、逆に期待持たせてることになるのよ?」
「ああ、わかったわかった」
 ひとみは声は落としているものの、耳元でキイキイ言われると工藤は頭痛がしてきそうだった。

 


back  next  top  Novels