「ってーなー、高津。腹に響くからやめろ」
悠は髭面の男を見上げて文句を言った。
「まあた食ってないのかよー、いい加減倒れんぞ」
ひょろっと背の高い高津は、並んで歩きながら悠を見下ろした。
「昨日、絵の具仕入れたから、金ないの」
「しゃあねーなー、ほれ、カレーパンやるよ」
高津は自分のバッグからコンビニで買ったばかりのカレーパンを取り出した。
それを受け取った悠はその場で袋を破いて、カプッと早速カレーパンに噛りつく。
「ハルちゃんボックス、昨日も満杯だったぞ、ポテチやらカップ麺やら」
歩きながらペロリとパンを平らげ、悠は袋を丸めてゴミ箱に放り投げる。
「おっしゃ!」
食料があると聞いて悠は気合を入れた。
悠も高津も、現在この大学の芸術学部洋画科に席を置く四年生である。
悠と一浪の高津とは入学当初から何となくうまが合い、今日に至っている。
「お前、そろそろ飯倉に侘びいれた方がいいんじゃねー? 卒制、単位もらえなくなるぞ」
「バカ言え! 誰があんなクソやろうに頭下げるかよ。こっちは着々と準備万端整いつつあるんだ」
真顔で忠告する高津に悠は断言した。
「青山のギャラリーで個展やる。十二月に」
「おい、本気で飯倉に挑戦する気かよ?」
「本気も本気、卒制なんかクソ喰らえ!」
にしても腹立つ。あのおっさん、顔を洗って出直せ、だとか言いやがって!
悠はギャラリーで妙な再会をした男の、人をくったような顔を思い出してまた舌打ちする。
だが、男の言ったことは至極もっともで、言い返す余地もないのがまた悔しいのだ。
「今日あたり、飯倉、くるんじゃねー? とにかくお前、飯倉にたてついたら、卒業どころか、画壇から締め出しくらうかしれないぞ」
「画壇も何も、俺には関係ねーもん」
悠はしれっと言ってのける。
「ねーもん、ってなあ、お前……」
「生涯画家やってく、とか、人を感動させる傑作を描く、とか、お前みたいな情熱持ってねぇし。絵なんか飯倉をぎゃふんといわせるために描いてるだけさ」
「お前、そりゃちょっと寂しくね?」
いっそさばさばと口にする悠に、高津は眉を顰める。
「どうせ天涯孤独だし。ガテンでその日暮らししようが、どっかで野垂れ死にしようが、俺の勝手だ」
高津は飄々と前を行く悠の細い背中を心配そうに見つめながら絵画棟のドアをくぐった。
学生は三年になるとそれぞれ希望する教授につくことになっている。
洋画科では八十名が四人の教授に割り当てられ、教授の人気や実力で多少人数の差はあるが、ほぼ二十名ずつに別れることになる。
飯倉正巳は五十代の実力派で、創美会という団体に属し、会員として揺るぎない地位を築いている。
その作風からもわかるように、かなりあくの強い性格なので、酷評する者もいるが学生たちの人気も高い。
悠自身、飯倉の作品に傾倒してこの大学を選び、三年になる時も飯倉のクラスを希望した一人だ。
だがある時、飯倉に個人的に絵の批評を頼んだ学生に金がないと知るや金を作ってから来いとにべもなく追い返しているところに出くわした。
「先生、学生から金ふんだくって、恥ずかしくないのかよ! ちょっとくらいみてやったって、バチあたらねえだろ!」
正義感は人一倍強い悠がキレるのも時間の問題だった。
「課外だからね、正当な報酬をもらっているだけだ。きれいごとを言っていても絵の具は買えないし、食ってもいけないんだよ」
貧しい家に生まれたらしい飯倉の、それが信条だという。
彼の気に入った学生はとことん後押しするが、気に入られないと単位さえ危うくなる。
悠も初めのうちは飯倉に目をかけられていた。
もっとも、高校時代からあちこちで賞をもらい、何年に一人の逸材とまで言われたことのある悠は、他の教授にも大いに注目されていたのだが。
飯倉の本性を知ると、悠は日ごとに飯倉を嫌うようになっていった。
飯倉から今度作品を持ってくるように、と言われたのは四年になってすぐのことだ。
「残念ですが、先生に差し上げられるような金は持ち合わせていないので、辞退します」
クラス中が一瞬凍りついた。
今までかつて、飯倉にたてついた学生は誰一人としていない。
「何だと?」
「先生、耳が悪くなるような年じゃないでしょうが」
師を師とも思わぬ言い草に、飯倉の顔は見る見る怒りで赤くなった。
こうして、飯倉と悠のバトルは以後、幾度となく繰り返されることとなったのだ。
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