「知り合いの雑誌編集者のまた知り合いの女の子が務めてるスナックに坂本がたまに来てて、明日からシンガポールだから今夜は飲むぞとかって騒いでたらしい。えらく羽振りがよかったから覚えてたって」
「それ、夕べの話ですか?」
「残念ながら一昨日の話」
「ってことはもう、坂本はシンガポールに……」
良太は大きくため息をついた。
海外に逃げられたら、後を追う術がない。
「そうなんだけどね、ちょうどシンガポールに、英報堂の元お仲間がいて調べてもらうことにしたよ」
「え! ほんとですか? ありがとうございます!」
顔を上げた良太は思い切り礼を言う。
「お礼は何か掴んでからでいいよ」
さすが藤堂だ、とその顔の広さにはいつもながら敬服する。
だが、全面的に藤堂さんだけに期待するわけにもいかない。
別のルートから真相に近づくしかない。
良太は静かに拳を握った。
千雪の話だと加藤がフェイク動画を作った者を探しているらしい。
そっちのセンから何とか辿れれば。
「おう、良太ちゃん、電話済んだか?」
その時スタジオのドアが開いて、ディレクターの下柳が出てきた。
「あ、はい、すぐ行きます」
良太が三か月ニューヨーク研修に行くことになったため、ドキュメンタリー『和をつなぐ』の収録を前倒しで行っているところだ。
今日は一刀彫の彫刻家二宮桃子とその師であり母親である二宮静香に、二宮桃子のいくつかの作品について対談してもらうことになっている。
MCはMBCテレビのベテランアナウンサーだ。
制作風景は既に収録済みで、明日は九州佐賀の伊万里市にある伊万里焼の若手作家にオファーが通ったので取材することになっている。
仕事に集中しなくてはと思う良太だが、やはりこの事件の犯人を早く突き止めたいという焦燥感が舞い戻る。
とにかく今は目の前の仕事に集中だ。
良太は自分に言い聞かせて、作家の話に耳を傾けた。
良太が九州に発つのと入れ違えに工藤が森村を伴って北海道から帰ってきたのは翌日のことだった。
「お帰りなさい」
「ただいま帰りました。これ、お土産です」
森村が鈴木さんに渡したシマエナガがデザインされたパッケージを見て、朝からオフィスにいたアスカが「うっわ、かわいい!」と駆け寄った。
「お疲れ様です。いかがでした? 撮影の方は」
秋山は労いを込めて工藤に声をかけた。
「順調だ。お前らは、どうだ?」
「こちらも順調です。ボチボチって感じでやってます。が、アスカさん、来秋のドラマが決まりそうです。NTV金曜の」
「そうか。まあ、あくせく仕事は入れなくていいぞ」
工藤は森村とシマエナガの話で盛り上がっているアスカを見て言った。
「はい」
工藤が疲れた顔をしているな、と秋山は思う。
良太の研修を控えている時に、今回のアスカの件で気苦労を思いやった。
本当なら万全な体制で良太をニューヨークに送り出したいはずだ。
しかし、まだフェイク動画を作ってまでアスカらを陥れようとしたのが何者なのかも杳としてわかっていない。
どちらかというと、まあ、せっかくオフィスに帰ってきたのに良太の顔がないことが、工藤としては面白くないのかも知れない。
とすると、良太がニューヨークに行った四月から、工藤のご機嫌を取るのがなかなか難しそうだぞ、と秋山は密かに思う。
back next top Novels
にほんブログ村
いつもありがとうございます
