夢見月32

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 せっかく珍しくこのあとの予定がないのにな。
 工藤がそんなことを考えていると、電話が鳴った。
 結局、鈴木さんが帰っていくまで、何件かの電話で時間が潰された。
 秋山とアスカは、その間に工藤と夕食を一緒にする約束をして、次の打ち合わせにテレビ局へと向かった。
 品川にある料亭『瑞月』に工藤が付いたのは七時過ぎだった。
 この店は以前共演した大御所俳優に勧められたというアスカご要望の店だ。
「ったく、クソセレブだらけの店じゃないか」
 大御所俳優の大ベテラン柿沢由紀乃の亡くなった夫は政界の大物で、この店の常連だったらしい。
 政界財界の御用達で、セレブや金に飽かしたセレブもどきが出入りするというこの店は、一見さんお断りとかで、そう簡単に予約できないはずだが、秋山はちゃっかり予約していた。
「柿沢さんに名前を出せばいいと言われてたので、やってみたんですよ」
 通された椅子席の部屋は、床はフローリングだが床の間や襖、障子戸のある窓、黒を基調にした金の縁取りがあるテーブルや椅子など、全体が和テイストでまとめられている。
 床の間に掛けられた若冲の淡彩画やさんしゅゆやれんぎょうが活けられた伊万里は本物だろう、いかにもセレブ受けしそうだ。
「菜の花ってこんなに美味しかったんだ」
 先付にだされた菜の花の芥子醬油和えをパクパク食べてアスカが言った。
 こいつと良太の思考回路はよく似ている。
 工藤はそんなことを頭の中で呟きながら、桜鯛の昆布締めを口にして、確かに美味いが、この程度は当然だろう、と皮肉も付け加える。
 タラの芽やこごみの天ぷらは絶品だし、牛フィレやシイタケのステーキも美味い。
 そのうち良太も連れて来てやるか。
 京助の名前でも出せばすぐに予約も取れるだろう。
 いつの間にか、良太のことに意識が及んでいる自分に、工藤は嗤う。
 例の一件で気苦労が絶えなかっただろうことを労って、工藤は秋山のぐい飲みに熱燗を注ぐ。
 秋山もここに良太がいないことが面白くないだろう工藤を労って、徳利を工藤のぐい飲みに傾ける。
「あたしにも」
 催促されて秋山はアスカのぐい飲みに熱燗を注ぐ。
「美味しーい!」
 今日のお嬢様はご機嫌がいいようだ。
 今回のことで、アスカは叩き落された不倫女優から濡れ衣を着せられた可哀そうな女優としてジェットコースターのように持ち上げられ、アスカも秋山も会う人会う人に、「大変だったわね」「俺はしんじてたからね」「アスカを陥れるとか許せない」などと口々に言われ、励まされるのが、もう腹いっぱいという感じだった。
 中には、ウソだろ、「やっぱりねえ、あの生意気な女、前っからいけ好かないって思ってたわよ」とかって裏で言ってたじゃないか、という人物もいたりして、秋山は表面上は鉄面皮で慇懃無礼に対応していたものの、信用するに足りる人間かどうか見極めがさらに必要だと改めて思ったものだ。
 とはいえ、案外早くアスカが陥れられていたことがマスコミから拡散されたことで、CMの仕事にほぼ影響はなく、今日の代理店と酒造会社とのCMの打ち合わせはとてもスムースに進んだ。
 その時、工藤のポケットで携帯が唸った。
「お疲れ様です。今、いいですか?」
 良太の声に、工藤は少し微笑んだ。
 


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