七時くらいと工藤は言ったので、きっかりに行く必要もなく、焦る必要もないのだが、こう渋滞していると、良太は前の車のテールランプを睨みつけながら苛ついていた。
車を会社の駐車場に置いて、猫のお世話をしてから歩いて『夕顔』に向かうつもりだった。
この分だと十五分か二十分は過ぎるだろう。
たかだか二十分だが、何となくそんな時間すら惜しい気がする。
この先、ニューヨークに発つまで工藤と過ごせる時間がどれだけあるかわからないのだ。
その時ナビと連動している携帯が鳴った。
「広瀬さんですか? MIエンタープライズの早坂です」
「はい、お世話になっております」
何だろうと、良太は思わず身構える。
車はまだ動かない。
早坂は再来年春に封切り予定の映画『さすらう言の葉』に出演予定の人気俳優太田美香子のマネージャーだ。
何か面倒ごとだろうかと思った良太だが、案の定、太田のスケジュールの都合で、撮影を前倒しにできないかという話だった。
良太が会社に出向いて打ち合わせをした際にも、もしスケジュールの都合などあれば、言ってくれるようにと申し出ていたわけで、やはりという話だった。
なるべく要望に沿うように検討し、また連絡すると告げて電話を切ったが、もう一人の大御所俳優、白河優菜も何か言ってくる可能性がある。
山根監督らとも早急に打ち合わせをして、ニューヨークに発つ前には何とか調整しないことには、と良太が考え込んでいると、前の車が動き始めた。
『夕顔』に着いたのは七時半になった。
車を駐車場に滑り込ませるなり、エレベーターで七階にあがり、猫たちのお世話をしていると、着替えるような時間もなく、良太はそのまま部屋を飛び出した。
店まで歩いて十分もかからないが、小走りで向かう。
店に着くと、暖簾の前で良太は少し息が上がっていたのを抑え、引き戸を開けた。
「いらっしゃい。奥でお待ちですよ」
女将がにこやかに言った。
わざわざ奥の部屋を取ってくれたのかと、スタッフに案内されて座敷の前に立った良太は、工藤の靴の横にベージュのハイヒールが置かれているのに気付いた。
え、誰かいるのか?
良太の胸の奥で少しざわめくものがあった。
「失礼します」
襖を開けて中を見ると、「あら、こちらが広瀬さん?」と床の間を背にした女性が艶やかな声で言った。
「スタジオで会ったから、ついでに打ち合わせに来てもらった」
何でこの人がここにいるんだよ、という良太の心の声が聞こえたかのように、すぐに工藤が説明した。
笑みを浮かべた黒髪の美貌の主は、白河優菜その人だった。
遠くから見かけたことはあるものの、こうして言葉を交わすのは初めてだが、ゆったりと余裕のある雰囲気といい、大御所と呼ばれるにふさわしい佇まいだ。
何より四十代と聞いていたが、十歳は若く見える。
まあ、女優は大抵年齢不詳な人種だが。
「はじめてお目にかかります、広瀬と申します」
良太はポケットからすかさず名刺を取り出して、白河に差し出した。
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