ところが今度は工藤の腕が良太を抱きしめた。
「え…」
不意打ちの状況に良太の頭はこんがらがって、思考が停止した。
「あの手の女は、思うように行かないとすぐ拗ねる。扱いには十分注意しないと、やっぱり降りるとか言い出されたら面倒だ。お前が白河オファーしたんだろうが」
工藤は言い訳のように口にした。
「フーン? オファーしたのは千雪さんですよ」
まだ信用ならないというように良太は愚痴った。
「いい加減にしろよ」
四月まで日が迫ってるというのに、と工藤は苛ついた。
「まったく!」
工藤は良太の腕を掴んだまま、引きずるようにしてベッドに連れて行くと、ベッドに放り出した。
「俺は疲れているんだ!」
そう言いながら工藤は良太の上に馬乗りになり、バスローブを脱ぎ捨てた。
「だったら寝ろよ」
減らず口の良太の頬を、工藤の手が撫でる。
思わぬ優しさに良太は言葉がなくなる。
第一ニューヨークに行くまでに工藤と会える時間がどのくらいあるのかもわからない、今この時間も貴重なのだ。
って、ニューヨークにいるのは三か月だけどさ。
頭の中で自分に突っ込みながら良太は工藤に抱き込まれるともうなんでもかんでもどうでもよくなる。
互いの吐息がまじりあい、肌が絡み合う。
揺さぶられるごとに工藤の熱が良太の中へと流れ込み、良太の中を駆け回る。
それでもこんな風に工藤の腕の中で目が覚めた朝、ひどく幸せでいてもいいはずなのにひどく切なくなるのだ。
ずっとこうしていられればいいのに。
そう思う背後に、何かしらの不安がつきまとう。
身じろぎするといつもと同じ工藤の匂いに少し安堵して良太はまた眼を閉じた。
街を吹き抜ける風が優しくなってきた。
昨夜の撮影が早めに終わったので、風呂にゆっくり入って十二時過ぎにベッドに入った良太は、朝六時には起き出して軽く部屋を掃除し、猫たちを遊ばせたり、朝食をしっかりとったりして、十時十五分前にはオフィスに降りて行った。
「おはようございます。あら、今日は早いのね、良太ちゃん」
鈴木さんがのんびり声をかけた。
「おはようございます。コーヒー入ってますよ」
へへっと笑って良太はパソコンから顔を上げた。
「ここんとこずっと、沢村選手の話題でいっぱいね」
コーヒーを持ってキッチンから出てきた鈴木さんがそう言いながらデスクに行った。
「ですねえ、沢村のMLB移籍にいちゃもんつけてた評論家とかプロ野球OBまで手のひら返し」
日本時間で昨日の朝、MLB開幕戦でレッドイーグルスはロッキーズと対戦、沢村の第一打席はMLBの洗礼というべき三振をきしたものの、第二打席適時打、第三打席、フォアボールで二塁残塁、ときて、解説者のOBが沢村に難癖付けていたところへ、一点リードされての九回裏に回ってきた第四打席で、沢村は何とさよならホームランで球場のみならず日本中を沸かせることになったのだ。
「ド派手なデビュー、沢村らしいっちゃらしいですよね」
良太も気分が高揚しているのは、やってくれたな沢村のお陰でもある。
「おはようさん」
森村より早くドアを開けて入ってきたのは、最近、青山プロダクション社員もどきとなっている小説家の先生だった。
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