土曜の夜、良太は重い足を引きずりながら土方のマンションの前に立っていた。
覚悟を決めてやってきたのだが、土方がドアを開けたところで、「広瀬くんやないか」という声に、良太は怪訝な顔で振り返る。
「え……千……小林先生…?」
千雪と言いかけたが、眼鏡をかけ、わざとくしゃっとかき回したような髪に地味なスーツを着た思いも寄らぬ人物に、良太は面食らう。
「奇遇やね、実はこれからおたくのオフィスに行くことになってるんやけど、ちょうどええ、乗せてってくれへんかな。ちょっと急用なんや」
千雪は土方に向かって、「悪いですね、ちょっと借りますよ」と半ば強引に良太の腕を引っ張ってエレベーターへと向かう。
その後ろで、土方がドアを閉める音がした。
「急用って、何かあったんですか?」
エレベーターに乗り込んでから、良太はたずねた。
「ああ、坂本龍馬のことで、坂本先生からちょっと重要なデータを預かってきたんや。工藤さん、オフィスにいてるていうし」
「ってか、何で千雪さん、ここに?」
パニクっていた頭が少しクールダウンするとようやく良太にも疑問がわく。
「偶然、下を通りかかったら良太が見えたよって」
「偶然?」
「ああ、はよ、頼むわ。俺、このあと、編集と打ち合わせやねん」
訝しげに千雪を見やったが、良太は千雪をナビシートに乗せてエンジンをかける。
本当は、また少し処刑が遅くなったようで、ほっとしてはいた。
ハンドルを握る指がまだ震えていて、しっかり力を入れる。
会社に着くと、オフィスには灯りがついていた。
工藤がいるらしい。
ことが済んだらさっさと逃げ帰りたいと、勝手にジャガーを借りたことが何やら後ろめたくなる。
駐車場に車を入れ、「それじゃ」と良太はエレベータのボタンを押した。
「土方って、あんまりいい噂聞かへんけど、良太、よく知ってるん?」
オフィスに向かうと思っていた千雪に、いきなり土方の名を出されて、良太はドキリとする。
「千雪さんには関係ないことですよ」
「好きな人できた、て、ほんま?」
単刀直入に聞かれて、良太は言葉に詰まる。
同時にそれを千雪が知っていることに、また傷つく。
「工藤さんに聞いたんですか? そうですよ。その土方です。つい最近つき合い始めたんです」
やけっぱちで良太は言い放つ。
「それにしちゃ、あんまり嬉しそうやあれへんけど?」
「気のせいじゃないですか。第一………」
一瞬口を閉ざした後、良太は千雪を見据えて言った。
「工藤さんが愛しているのはあなたじゃないですか。ずっと追いかけてたって…」
千雪は、良太の言い方が気にかかる。
「追いかけてた? 工藤さんがそないゆうたんか?」
「工藤さんは言いませんよ。そんなこと。でも、こないだ、綾小路さんが、千雪にもう不埒なマネをさせるな、って工藤に言っておけって」
「京助のドアホがっ!」
何と、良太を苦しめていた元凶はそんなところにもいたのか、と千雪が舌打ちする。
「あ、おい、良太、待て…て」
良太は引き止めようとする千雪の腕を振り払い、エレベーターに乗り込んだ。
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