大手商社時代、秋山がいきなり警察に捕まったのは、結婚を約束したフィアンセとここを決めて、家具なども運びこんだあとのことだった。
上司の娘だったフィアンセは婚約を破棄し、今マシンが置いてあるスペースにあった彼女のグランドピアノだけはこの部屋から持ち出されたが、組まれていたローンは勝手に引き落とされるまま、秋山はこの部屋に住み続けていた。
とっとと去って行ったフィアンセに未練などあるわけもなく、嫌疑が晴れてすぐ商社を辞めた秋山は、工藤のもとで怒涛のような仕事に埋没されていたこともあり、新しく部屋を探すのも引っ越すのも面倒になったというのが本当のところだ。
「ええ、俺もそう思ってるんですけど、会社にも近いし、無精してて」
「まあ、俺がとやかく言うことじゃないが、その佐藤さんとはどうなんだ?」
「は?」
「お前が結婚とか考えているのなら、つてでいい部屋を探してやるぞ?」
すると秋山は吹き出した。
「いや、彼女とは全くそんな関係じゃないですよ、再会したのもスキーの時何年振りかで。ご心配おかけしてすみません」
「今、そういう相手はいないのか?」
問われて秋山は一瞬、言葉を噤んだが、「いませんよ。今さら結婚とかもう考えるのもウンザリで」と言う。
「そうか」
工藤はコーヒーを飲んでから、また徐に口を開いた。
「まあ、それはそれだ。お前の好きにしたらいいが、やはりそろそろお前の待遇的なものも考えねばならないだろう。取締役でどうだ? 形的には三月の株主総会での決定だ」
「取締役? 俺がですか?」
「ちっぽけな会社で名ばかりだが」
それこそ株主総会といっても、メンバーは社員とタレントに小田弁護士と横浜厚生病院で外科部長をしている石川健斗くらいなもので、小田と石川は仕事で一度も出たことがないし、ランチミーティング程度のことだ。
「とんでもない。前の会社なんかよりずっといい待遇ですよ。今考えても、あの会社で競争して昇進しても大して待遇が良くなったとは思えないし、実際仕事も今の方がずっとやりがいもありますからね」
秋山は笑った。
「まあ、もし、身を固める気になった時は、知らせてくれ」
そう言いおいて、工藤は秋山の部屋を辞した。
その頃、乃木坂のオフィスでは小田が帰ったあと、良太は加藤と少し話をした。
「小田弁護士の依頼だから、詳細は話せないと思いますが、秋山さんと何か関係あるんですか?」
「うーん、いや、秋山さんとは直接関係ないことだけは確か。良太ちゃんが心配することはないと思う」
「そうですか」
「じゃ、お邪魔様」
「お疲れ様です」
加藤がオフィスを出て行くと、良太はほっと息を吐いた。
いつ工藤が戻るかわからないし、良太は灯りを消すとオフィスを出て自分の部屋に上がった。
高輪に行くかもだし、そうだ、朝飯を作る以上、どっちに帰るのかだけは知らせてもらわないと。
工藤に言っておかないとな、と思いつつ、良太は二匹の猫をしばらく遊ばせた後、ご飯を上げて、風呂の湯を張った。
その間にニュースを見ようとテレビをつけた。
『……今年のバレンタインは、贈る対象が義理から友達や自分へのご褒美のためにとシフトしています。ということはつまりとにかく可愛い、が溢れています………』
見るからに甘い香りが漂ってきそうな画面には、ピンクやパールブルーなどファンシーカラーに彩られた様々な形のチョコレートがずらりと並んでいる。
「うっわ、そうだった! 来週には恐怖のバレンタインがまたやってくるんだった!」
良太はテレビに向って喚いた。
毎年、オフィスには人気タレントである志村や小笠原宛のチョコレートやプレゼントが山ほど送られてくる。
しかも工藤宛には、それこそ今まで関係あるなしに関わらず世界のそこここに住む女性から高価そうなプレゼントが届くのだ。
たまに良太にも、母親や妹の亜弓以外でも義理チョコなんかが届いたりするのはご愛敬というところか。
「今年は義理チョコやめようって風潮らしいから、まあ悲鳴を上げる程俺なんかには来ないけど」
工藤宛のものなど、中を確かめてオフィスで分けろ、とか何とかムチャなことを工藤は言うのだが、そんな高価なプレゼントなど分けられるはずもなく。
back next top Novels
にほんブログ村
いつもありがとうございます
