ACT 1
明け方から強風を伴って降り出した雨が通勤客を悩ませていた。
気まぐれな春の嵐は八時を過ぎても衰えを知らず、都心へと大挙して向かう人々の足を阻んでいる。
幸か不幸か通勤距離数十メートル、徒歩数分という環境にある広瀬良太には暴風雨もあまり関係がない。
それでも廊下に出ると湿気と肌寒さにぶるっとからだを震わせつつ、良太は『社員寮』からエレベーターでオフィスのある二階に降りる。
「おはようございます」
ドアを開けながら挨拶した良太は、そのままふわあとついあくびが出るのを抑えきれなかった。
「おはようございます。良太ちゃん、また、夕べも遅かったの?」
「…ええ、まあ…」
自分のデスクに着き、のそりとパソコンを立ち上げながら、良太は心配そうな顔の鈴木さんに歯切れの悪い返事をする。
近年、世界経済を大きく揺るがせたアメリカの大手投資銀行の経営破綻は、やがて日本経済にも影を落とし、テレビ業界もまたその影を逃れることができず、広告収入の減少によって、当時は制作会社、特に下請け孫請けの制作会社などの倒産も相次いだ。
さらに追い打ちをかけたのが、メディアの多様化によるテレビ離れの加速である。
リアルタイムでテレビを見ないという若年層が増加したことで、テレビ業界の制作コンテンツも改革を余儀なくされ、購買行動につながりやすい若年層をターゲットにした製作費のかからないバラエティなどが一気に増え、逆に視聴者層の高年齢化やドラマの質の低下、マンネリ化などに加え、製作費がかさむロケなどを多用するなどの理由から、かつては週に何本も放映されてきた二時間ドラマは人気シリーズを残して減少の一途を辿ることになった。
下請け会社の中には、ドラマ専門に対応してきたところもあり、下降する経済状況の中で青息吐息の現状だ。
小さいながらもクライアントには恵まれ、企画制作に携わった今春公開の映画『春の夜の』も五十億の興行成績をあげているし、ここ乃木坂に自社ビルを構える青山プロダクション自体はちょっとやそっとで揺らぐものではないが、ここのところ社長の工藤がいつにもまして駆けずり回っているのは、自分の会社のためというより、経営がきつい下請けの制作会社になるべく仕事を回すためでもあった。
だがやはり限度というものもある。
「はい、コーヒーここに置くわね」
鈴木さんがそっとサイドテーブルにカップを置いてくれるまで、良太は画面に目をやりながらも、昨夜見かけた工藤のいつにない疲れ切った顔を思い出していた。
「あ、ども…」
「工藤さんもだけど、良太ちゃんもあんまり無理をしてからだ壊したら、何もならないわよ」
「俺はまあ、別にそうたいしたことやってるわけじゃないから…」
工藤、昨夜もろくすっぽ寝ないで出かけたんじゃないか。
いい年なんだからちっとは自分の身体のことも考えろよ。
いい年なんだから、などと工藤以外の人に言えば、逆パワハラなどと糾弾されそうだが、良太は本気で心配して言っているのだ。
それは、不仲の監督と脚本家の間で右往左往し、戻ってきた『大物』タレント、山之辺芽久のわがままに振り回されながらもようやくKBCテレビの二時間ドラマ『花の終わり』のクランクアップにこぎつけそうだと、良太が胸をなでおろしたばかりの頃だった。
「猪野が?!」
珍しく夕方早い時間に帰っていた工藤あてに、下柳から電話が入った。
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