さすがに十月も半ばを過ぎると、いったいいつまで続くのかと思われた長い夏もようやく終焉を迎え、九月の末まで啼いていた蝉の声も聞こえなくなった。
小林千雪はぼんやりと公園のベンチに腰をおろし、膝の上に本を広げているものの、読むともなく宙に視線をさ迷わせていた。
いつの間にか夕方になったようで、マンションから歩いて五分ほどのこの小さな公園の中を、何人もの人がそれぞれ犬を連れて通り過ぎる。
大抵、毎日のように顔を合わせているのだろう、お互い声をかけたり挨拶したりする声が千雪の耳にも届いている。
同時に、自分をじろじろ見やる無遠慮な視線も感じていたが、そんなことに構う気にもなれなかった。
「男の子? え、女の子でしょ?」
「すっごいきれいな子ね」
柴犬、ゴールデン、プードル、犬たちもどの子も手入れの行き届いたセレブの顔をしているが、犬たちは奥様方のおしゃべりはいい加減にしてほしいと思っていることだろう。
千雪の耳にも暇を持て余した好奇心旺盛な奥様方の声が聞こえている。
男やろうと女やろうと、どうでもええやん! くだらん!
黒縁眼鏡にオヤジスエットでくるんやった。
クソと思った千雪だが、それもすぐにどうでもよくなった。
わああああっ!
叫びだしたくなるのを必死で抑え込み、思わず頭を掻きむしった。
ぎょっとしてそのようすを見ていたセレブたちは、しばし固まったが、やがて我に返ってそそくさと犬のリードを引っ張ってその場を立ち去っていく。
何も浮かばんやないか! このボンクラ頭!
心の中で喚いた千雪は、ふううと一つ大きく息をついた。
「せや、久しぶりに青山プロでものぞいてみよか」
ぼそりと独り言を呟いた千雪は、その実締め切りを数日伸ばしてもらったものの原稿が全く進まず、編集の多部にまた急かされるのから避けるために部屋から逃げ出して、公園までやってきてはや数時間、ここでぼおっと時間が過ぎるに任せていたのだ。
何や良太て、やたら事件に巻き込まれよるし、何かおもろいネタがまたあるかしれん。
公園の真ん中に時計があって、ちょうど五時を指していた。
「まだ、鈴木さん、いはるやろし、うまいおやつにありつけるかも」
千雪はまたぶつぶつ呟いた。
青山プロダクションは、テレビ番組、映画の企画制作および所属俳優の育成やプロモーション等を主な業務とする会社で、ここ麻布からは車で五分、電車なら二十分ほどの乃木坂にある。
社長の工藤高広が千雪原作の小説を映画化したことがきっかけで、オフィスの面々にも千雪は馴染みとなっている。
諸事情により万年人手不足の会社にとって広瀬良太は貴重な社員だが、キー局時代鬼の工藤と異名を取った工藤にこき使われながらも、未だ辞める気配もなく、何とか続いているようだ。
良太でもからこうてみたら、何かひらめくかもや。
不遜な企みに笑みを浮かべて千雪が立ち上がろうとしたその時、はっはっという息遣いが聞こえてきた。
と思うや、目の前に大き目のワンコが尻尾を振りながら立ち竦んでいた。
「何や、お前」
銀色の毛並みのいいハスキーだ。
青い目が異様にきれいである。
リードを引きずっているのを見ると、家から逃げ出してきたのか、散歩の途中で飼い主から逃げ出したのだろう。
「あかんやないか。飼い主、どこや?」
犬が答えるはずもなく、そのうち千雪の前にお座りをした。
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