ゆうされば2

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「何もうまいモンなんか、持ってないで?」
 じっと見つめながら尻尾をぱたつかせている犬に、千雪は言い聞かせる。
「えらい懐こいやっちゃな、お前」
 その犬を見ていると、子供の頃、家で飼っていたシェパードのマックのことを思い出した。
 もともと父親の同僚が飼っていた犬なのだが、子供にせがまれてブリーダーから買ったはいいが、仔犬の時は可愛くてよかったが一歳になると大きくなり過ぎてマンション住まいだし、もう飼えないから保健所にやるしかないかなどと言っていたのを聞きつけた父親は即うちで引き取ると申し出て、千雪の家にやってきたのは千雪が三歳の頃だった。
「大型犬や、成長したら大きうなるに決まってるやろが!」
 父親は同僚のことで憤慨していた。
 一方、大きいが懐こいマックは千雪のいい相棒になり、母の絵にも研二や江美子と同様たびたび登場している。
 リビングにはマックのベッドが置かれ、時々千雪も一緒に寝ていたのを覚えている。
 幸せな時を思い出すと、だが否が応でも中学の時に母とマックを相次いで亡くしたことも思い出さざるを得ず、千雪は胸もキリキリと痛みを覚えた。
「お手」
 千雪が手のひらを向けると、目の前の犬はボンと手を乗せた。
「お前、ほんまにマックみたいなやっちゃな。ひょっとしてマックの生まれ変わりとか?」
 しばらく犬とそんなやり取りをしていた千雪は、「ああ、こんなとこにいたのか、シルビー」という声に振り返った。
「申し訳ありません、散歩の途中でリードを付けたまま手から離れて逃げてしまって」
 千雪を見て一瞬はっとしたような顔をしたあと、息を切らしながらそう言ったのは、身なりのいい四十代あたりの紳士だった。
 シルビーと呼ばれた犬はワンと一声鳴くとリードを掴んだその紳士の前に寄り添った。
「あの、お嬢さん、シルビーが何か粗相をしませんでしたか?」
 戸惑いながら、眼鏡の紳士はさらに声をかけた。
「懐こい子や、シルビー、いうんですか。俺のうちにいた犬に仕草が似とおるんで」
 千雪がそう言いながら立ち上がると、紳士は驚いた顔でまじまじと千雪を見た。
「これは、失礼しました。男の方でしたか」
 久々きっぱり間違われた千雪だが、シルビーが笑顔で見上げているのを見ると、怒る気にもなれない。
「いや、ハスキーは顔が怖いので、割と敬遠されるんですよ」
「この子、きれいな青い目、したはる」
 千雪は笑みを浮かべた。
「もう、勝手に逃げてもうたらあかんで、シルビー」
 まるでその言葉がわかったかのように、シルビーはワンと鳴いた。
 千雪がシルビーに手を振ると、紳士も千雪に頭を下げ、シルビーを連れて去って行った。
 千雪が振り返ると、シルビーも千雪を振り返っていた。

 千雪がタクシーで青山プロダクションに着いたのは、あと十五分で六時という時刻だった。
「今日は工藤さん、大阪だし、良太ちゃんも、『パワスポ』の会議で遅くなるみたいで」
 もう鈴木さんにとっては帰り支度をしたいだろう時間なのに、やっぱり美味しい紅茶とお土産にいただいたというシュークリームを出してくれた。
「ああ、スポーツ番組?」
 早速シュークリームをかじりながら千雪は聞き返した。

 


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