このビルの最上階である七階には、工藤の私室があるのだが、その一つを良太は社員寮として使っていた。
一年ほど前、良太はとある事件に巻き込まれた際、工藤に強制的に前のアパートを退去させられ、猫ごと引っ越してきたのである。
たまたまその引っ越しの時も、千雪はここで留守番のようなことをやっており、軽井沢からやってきていた平造老人を手伝って、良太が退院する前に良太の部屋を片付けたりしたので、良太が引っ越した経緯も知っていた。
平造は工藤の養い親である曾祖父母が亡くなったあと、工藤の面倒を見てきた老獪で、千雪が平造と出会ったのは平造が工藤の別荘を管理している軽井沢だった。
背中に俱利伽羅紋々を背負う平造は、工藤に忠誠をつくす面倒見のいい老人だ。
出前が届いてすぐ、スエットに着替えて戻ってきた良太はお茶を入れると、壁にかかった五十インチのテレビの前のテーブルセットに千雪を呼んだ。
しばらく二人とも黙々とうな重を食べていたが、テレビでは午後七時のニュースをやっていた。
「……今日午後五時頃、元麻布にある十階建てマンションのエレベーターの前で人が倒れているという通報があり……」
アナウンサーの読み上げる内容に千雪は顔を上げた。
「警察の調べによりますと、所持していた免許証から男性は杉浦洋二(四十五歳)さんで、刃物で刺されたことによる失血死と………」
「うちの近所やな」
千雪はぼそりと呟いた。
「殺人事件ですか、物騒な世の中ですね」
他人事のように良太は言うが、当人も命に別状はなかったにせよ、工藤を恨んだ男に身代わりに刺されるという経験があるのだ。
忘れたということはないだろうが、無理に平然としているわけでもない、これが良太のポジティブさなのかも知れないと、千雪は感心せざるを得ない。
それでも何かの拍子でPTSDが現れる可能性もないではない。
そこは周りが気を付けてやらないと。
そうや、良太が俺に向ける敵対心は、工藤が俺に懸想してるんやないかいうことが心配なんやな。
PTSDよりそっちの方を、良太にとっては気になるわけや。
昔の工藤の恋人の名前と同じいうだけで、それはないで。
「何で、人を殺したりできるんだか、俺にはわからないなあ」
千雪が良太のことであれこれ考えていると、良太がいかにも不可解だ、というように言った。
「良太は、ほんまに、ええ育ち方しとるんやな」
千雪は苦笑しながら言った。
「だって、千雪さん、人を殺したいとか思ったりすることあります?」
「あるで」
軽く千雪が答えると、良太は驚いた。
「え、それってどういう?」
「せやな、仔猫を箱詰めにしてゴミ置き場に捨てたやつとか?」
すると良太は笑った。
「それはわからないでもないですけど」
「俺やったら、完全犯罪企てて、捨てたやつを永久に葬ったる」
千雪は断言した。
「ったく、推理作家は物騒なことを平気で口にするし」
良太は千雪の発言をそう関連付けると、「でもやっぱ、何でさっきの人が殺されなければならなかったのかとか、ちょっと考えちゃいますよ」と先ほどのニュースの事件に話を戻した。
「せやな、理由としてはざっと四つある」
「四つ?」
千雪の断言的なセリフに良太は聞き返した。
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