ちらちらと白いものが空から落ちてきた。
濃いねずみ色の空は青い空より何かずっと遠いものを心の中に感じさせる。
「……さらば友よ!」
力のこもった生徒会長の声に騒然としていた面々が一瞬静まり返る。
歴史ある校舎を背景に、グラウンドの傍の道には送る者、送られる者に分かれ、全校生徒が集まって卒業式のクライマックスを迎えようとしていた。
ダサ………
和田響は、時代がかった惜別の語りのあと在校生の歌う送別歌を背中に聞きながら目をすがめて歩き出す。
「降ってきたな」
道端にまだ残る雪に目をやれば、春の遠さを感じてうんざりだ。
大抵卒業と桜はセットで考えられがちだが、この辺りでは桜は四月の半ば以降、ゴールデンウイークまでずれ込むこともある。
それでも、一年前まで過ごしていたベルリンの街の、夜の長い陰鬱な冬と比べればましか、と思う。
高校から続く道をひたすら南へと歩くと、やがて江戸時代にでも迷い込んだかのような、木造の低い屋根の町並みが静かなたたずまいを見せる。
一階にはくすんだ紅色の出格子が並び、今どきの若者にはちと低すぎるだろう板連子の二階が、張り出した大屋根の下に見える。
見るからに文化財と思しき建造物だが、ここにも人は住み、町並みを壊さない形で観光客相手に土産物を売る店や造り酒屋として何代も続く家もある。
「しっかし変わってないな…」
まさかこの街に出戻り、しかも母校で教鞭をとることになろうとは、十前の卒業式の日の自分には思いもよらぬことだった。
二度と戻ってくるつもりはなかったのだが。
一旦大き目の通りにぶつかるが、それを突っ切るとまた古い町並みが現れる。
このまま家に戻っても折り合いの悪い父親と顔を合わすくらいが関の山だ。
銀行の支店長を退職後、NPO団体の顧問だのどこぞの会社の取締役だのという役職についているらしいが、帰りが早かったりして居間で新聞を読んでいたりするのだ。
まったく何を好き好んでこんなド田舎にしかもこんな寒い時期に押し寄せるんだ!
たたずまいはさほど変わらないものの、年々インバウンドのお陰でこんな狭い通りでも日本人以外の言葉があちこちから聞こえてくる。
響はついつい眉間に皺をよせつつ、明らかに欧米人だろう数人のグループを睨みつけていた。
観光客がそぞろ歩く間をぬって、響は白壁の土蔵を認めると、伽藍と書かれた看板の横のドアを開いて中に入った。
「いらっしゃい」
カウンターの中の青年は、響を見るとにっこりと笑いかけた。
「また雪だ。三月だぞ」
響はコートを脱ぎ、カウンターの真ん中の椅子に陣取った。
「卒業式に晴れたことなんか滅多にないですよ」
後ろで結わえた髪はそれこそシャンプーのCMに出てもおかしくないほど艶やかで、しかもきれいな笑顔は相手を和ませる。
エプロン姿の青年はその身長がなければ一見女性と見間違えそうである。
「カフェオレ。ったく、このクソ寒いのに、あんなとこで長いこと立ってられるかって」
さすがにこの寒さのせいか、店内は隅のテーブルにバックパックを床に置いた外国人カップルらしき観光客が一組すわっているだけだ。
コートのポケットに突っ込んでいたにもかかわらず、指先まですっかり冷たくなっている両手をこすり合わせながら、響は眉間に皺をよせる。
「とっとと退散、ですか」
「いんだよ、どうせ、俺なんか非常勤講師なんだから」
「でも、俺、好きだったなー、実際の卒業式よりあの儀式の方が厳粛って気がして」
「あんな時代がかった儀式が? 二十一世紀に入ってもうずいぶん経ってるってのに。だいたい元気は見た目より頑丈だもんな」
「響さんがひ弱すぎるんですよ」
岡本元気はこの伽藍のマスターだ。
next top Novels
にほんブログ村
いつもありがとうございます
