遅かれ早かれ、そうなることはわかっていたさ。
黒板消しを置くと、響は手をぱんぱんと払い、準備室に入った。
考えごとをしていたので、あっという間にガツガツと弁当を平らげた響は弁当のからをビニール袋に突っ込みゴミ箱に放ると、音楽室を出た。
そのまま音楽室にいると、また井原がひょっこり顔を出して、夕べは荒川先生とどうしたこうしたと自慢たらたら話し始めるかもしれない。
そういう無邪気なところは嫌いではないが、井原の恋バナとなれば話は別だ。
正直、聞きたい話題ではない。
響はどこへ行くともなく廊下を歩いていたが、つきあたりに図書室の文字を見つけて、ドアを開けた。
昼休みなので生徒たちがあちこちにいて、少しさざめいている。
響は音楽の蔵書のある奥まった棚へと歩いて行った。
この学校は百年ほどの歴史があるだけあって、今は手に入らないような古い文献がきちんとおさめられている。
ついでだからイタリア歌曲の文献でも探そうとしばらくそこに留まっていると、近づいてくる足音がした。
「あら、和田くん、なんか久しぶりね」
振り返ると司書教諭の江藤が笑顔で立っていた。
「江藤先生」
「そういえば、しょっちゅう図書室に通って、何かしら読んでいたわね、和田くん」
高校の頃は、親しい友人もいない響は、授業以外の時間を持て余しそうな時、大抵音楽室か図書館で過ごしていた。
「何だか和田くんて、あの頃のままだから、一瞬戸惑ったわ。どう? 今年の新一年生は?」
「みんな可愛いですよ。でも、どうかな、俺の在学時より今の子の方が大人な感じ」
「フフ、そうね、私の頃なんかもっと子供だった気がするわ」
「音楽部の生徒にも言われましたけど、もう十年以上経っているのに、俺ってそんなガキに見えます?」
江藤はするところころと笑う。
「成長していないって意味じゃなくて、変わらないっていいことじゃない? それに前はこんな風に、打ち解けて話したりしてくれなかったでしょ? もちろん、中身はすごいってことはわかってるわよ。ロンティボーで優勝した天才ピアニストですもの」
「やめてくださいよ。天才なんかじゃないし、ロンティボーも昔の話ですって」
響は軽く否定した。
「またそんな言い方して、和田くんはもう少し自分を認めてあげた方がいいと思うわ。ちゃんと成長してるじゃない。って、あたしったら、えらそうに。それに和田くんとか、ごめんなさい、つい昔の癖で。和田先生」
江藤は言い直して、持っていた本を書棚に戻し始めた。
「いいんです。俺、未だに先生、とか、全然慣れなくて。第一、先生とか呼ばれるような人間じゃないのに。田村先生のピンチヒッターってだけで」
すると一呼吸おいて、江藤は言った。
「でも頼られてるよね? 音楽部の瀬戸川さんたちとかに。それっていいことじゃない? それに、井原くんもさすがよね、今一手に注目集めてるけど、ガリレオ先生とかって。でも和田くんも負けてないでしょ? キョー先生って、赴任直後から生徒に溶け込んだじゃない。いいことよ」
笑顔を残して江藤はカウンターの中へ戻っていった。
いろいろあったらしいけど、江藤先生こそ変わらないな、と響の在学当時から誰にでも向ける包み込むような笑顔を見て響は思う。
高校時代は一人蚊帳の外のような存在だと自分のことを思っていたが、こうして生徒たちとまたこの校舎の中にいる時、自分から蚊帳の外にいただけだったのだと響は改めて納得する。
こうして校舎の中を歩いてみると、そこここにあの頃の自分がいた。
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