飛行機から降り立った途端、もわっとする熱風に包まれ、スーツを着込んでいる広瀬良太は思わずうっと息を飲んだ。
仕事とはいえさわやかな知床の夏を満喫してきたばかりで、またこの亜熱帯のビルの群れの中に入って行かねばならないかと思うと、げんなりである。
日本など小さい島国のくせにどうしてこんなに地域によって気候が違うのかと、良太は心の中で文句を言う。
それが自然の生業だ! 文句をたれる前に動け!
まるで条件反射のように、鬼社長の怒鳴り声が聞こえてきそうで、良太はひそかに顔をしかめた。
自分がそういう場面に出くわせば文句言うくせにさ。
青山プロダクションプロデューサー、というのが、今持っている名刺に書かれた肩書きである。
それ以外にも秘書兼運転手と、小さな会社であると同時にとある事情により、社員が増える見込みが少ないため、一人で何役もこなさねばやっていけないというのが本当のところだ。
良太にしてみればあまり思い出したくはないのだが、俳優なんてものも一瞬あった。
『知床』はフリーディレクター下柳ともども良太がプロデューサーとして名を連ね、来年の春にMBCで放映予定のドキュメンタリーで、『世界自然遺産』に登録されて注目を浴びている知床半島の生態系を四季を通して追っているものだ。
メインスポンサーである東洋商事社長、綾小路紫紀に良太が顔を覚えてもらったことをこれ幸いと、ここのところ社長工藤の命により東洋商事関連はほとんど良太が対応させられている。
梅雨明けとともに、仕事の一切合財を良太に押しつけて渡欧し、しかも時折誰それから連絡が入ったら知らせろだの、何とか製薬の誰それとコンタクトを取っておけだの、ビシバシ仕事を増やしてくださる、今頃スペインあたりの石畳を闊歩しているだろう青山プロダクション社長、工藤高広。
工藤がプロデュースしている推理作家小林千雪原作の映画『春の夜の』関係の仕事も、東洋商事がメインスポンサーに名を連ねているため、国内外問わず飛び回っている鬼社長に代わってほぼ良太が動いているのだ。
その合間に、良太自身がプロデュースで携わっている週末のスポーツ報道番組『パワスポ』の打ち合わせをこなし、所属タレントの中川アスカや小笠原裕二らの持ち込んだトラブルに対処すべく走り回り、ついさっき三日間の予定でドキュメンタリー『知床』の撮影のため、スタッフに同行して夏の知床半島を回って東京に戻ってきたところである。
ゆっくり眠れたといえば羅臼の宿についた日の夜と、飛行機の中の一時間ちょっとだ。
フン! 鬼って呼んで何が悪い!
開き直りの境地で、良太は鬼社長が眉間にしわを寄せた顔を思い浮かべて悪態をつく。
おかげで必然的に綾小路紫紀の秘書である野坂や、少々苦手な東洋商事の広報室長中平とも顔を合わせる機会が増えた上、社長の紫紀が通りすがりに、
「良太くん、いっそのことここにデスクを置いたらいいよ。出向とか適当な名目つけて」
冗談だか本気だかわからないその言葉にどう対応していいかわからず、ありがとうございます、と良太は咄嗟に笑顔を作った。
そんな良太に、にっこり笑い、秘書や中平に見送られて紫紀は颯爽と広報企画室を出て行った。
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