「今夜は月が明るいなぁ」
藤堂義行はふと足を止め、秋の夜空を見上げて呟いた。
輝く月の明るさとは裏腹に、サイモンベーカーとアレックスオローリンをたして二で割ったような甘いマスクは曇りがちだ。
藤堂の左手には真っ赤なバラの花束、右手には巷で評判のシュークリームの箱が、パティシェリーのきれいな袋の中で揺れている。
「あーあ、マミちゃん……」
マミの大好きなシュークリームもクイーンレッドのバラも、今となってはそれらはもう何の用もなさないのだ。
「新しい彼氏見つけちゃったから、バイバーイ!」
やっとつながった携帯の向こうから、マミのかわいい声がそう言った。
思い出したように時計を見ると午後十時を過ぎようとしている。
どうやら二時間ばかりただぼんやりうろついていたらしい。
青山通りをひとりテクテクと歩きつつ藤堂はまたふーっと一つ大きく息をつ。
「それにしてもこんなにたくさんのシュークリーム、どうしようか」
大きなシュークリームが六個。
藤堂も嫌いではないが、いくらなんでも六個も食べられないし、注意書きにもしっかり『今日中にお召し上がり下さい』とある。
「オフィスにはもう誰もいないだろうしな」
これからオフィスに戻るのもさすがに億劫だ。
「仕方ない、帰ってアイちゃんと二人で食べるか」
七ヵ月になるアイちゃんは実家で生まれたボーダーコリーのミックスで、今は彼の唯一の家族だ。
一緒に暮らし始めて五ヵ月が経つ。
スリッパから靴からボロボロにしてくれたり、スーツの上着をビリビリひっちゃぶいてくれたりするやんちゃざかりの男の子で、かわいいやつである。
ただし甘い物は好きでも、ワンコにたくさんはあげてはいけないのだが。
「俺を慰めてくれるのはアイちゃんだけかぁ」
藤堂はまた虚しく呟き、トボトボと歩き出すのだった。
「おい、ボウズ!」
唐突に大きな声がした。
藤堂は足を止めた。
通りの先が道路工事現場になっている、その辺りからだ。
「こら、大丈夫か?」
工事用の照明がやけに眩しい。
「まあた、倒れやがった」
「ほっとけ!」
無責任な言葉を聞きつけてムッとした藤堂がつかつかと近寄っていくと、そこに痩せぎすな若い男が倒れている。
「おい、ほっといていいわけないだろう! 救急車!」
藤堂はポケットから携帯を取り出して救急車を呼ぼうとした。
「腹減ってるだけだ」
「食っとけって言ったのに食わねぇからだ。迷惑してるのはこっちだ」
いかつい男たちが口々に言う。
「うう~」
倒れている男が呻いた。
「おい、君、大丈夫か?」
半信半疑で藤堂は長身をかがめて男の顔を覗きこみ、声をかけてみる。
「…うう……はら…減った~……」
藤堂は、おいおい、と脱力した。
「こんなハードな仕事をやるのに、食べないでやろうなんてのが大間違いだ」
立ち上がろうとして、藤堂は手に持っているシュークリームに気づいた。
「よかったら……、食べるかい?」
「へ?」
倒れていた男は勢いよく半身を起こすと、差し出された袋からそそくさと箱を取り出した。
「シュークリームだけ……ど……」
藤堂が説明し終える前に、男はシュークリームを両手にがつがつと食べ始めている。
呆気にとられて藤堂が見ている前で、男はあっという間にシュークリーム六個を平らげてしまった。
「シュークリームかー。おにぎりの方がよかったな。ちっと胸焼けがするが、何とか動けら。ありがとよ、おっさん」
よっこらしょ、と立ち上がった男は、ふらふらと現場に戻っていく。
「おい、君」
「へ?」
振り返った男に、藤堂は花束をつきつける。
「なんだよ? これ」
うっかり受け取った男は怪訝そうに藤堂を見た。
「おお、なんと、労働する男にはバラがよく似合う!」
「おい、おっさん!」
藤堂は花束とシュークリームを手放し、花束を抱えてぼんやり立つ男に手を振りながら、とりあえずすっきりとした心地で家路についたのだった。
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