千雪の前にワインが置かれると、「じゃあ、もう一度乾杯!」とグラスを掲げるアスカに本谷も慌ててグラスを鳴らしたが、突然現れた千雪にどう対応していいかわからず戸惑っていた。
まもなく千雪の前に料理が運ばれた。
「豪勢やな、俺、京都に生まれていっぺんもこんなん食うたことないで」
「どうせ工藤さんだから、平気平気」
「ああ、ほな、遠慮のう」
千雪はここに来た当初から、アスカの通る声が聞こえていて、本谷をいじっているらしいのがわかり、あーあ、と心の中で溜息をついた。
そもそもはちょうど良太が東京に戻った日、大学の研究室にいた千雪にかかってきたアスカからの電話が始まりだった。
「ああ、京都? 実は週末やったら行けそうかもて。工藤さんからも再三、顔を出せ言われてたし、親の墓参りしたりて思てるんやけど」
しかしアスカが電話をしてくる時には、必ず何かあるとふんでいる千雪は、注意深く応対した。
案の定、相談があると言われて、千雪は席を立って廊下に出た。
「はあ? なんでまた俺が当て馬みたいなこと、流とかいてるやろ」
聞けば、本谷が好きになっている相手をあきらめさせるために、その相手の恋人をにおわせてほしいという。
「別に恋人役になってとか言ってないじゃない。におわせるだけでいいのよ。それに流は撮影終わったらすぐにかえっちゃうし、あいつがそんなことに協力してくれるわけないじゃない」
「はあ。それで、誰の恋人やて?」
「工藤さん」
「はあああ?」
だがアスカから、工藤と良太がぎくしゃくしていて、良太が引っ越しまで考えていることなどを聞くと、千雪も了解せざるを得なかったのだ。
その日のうちに良太のところへ出向いて週末に法事があるからなどともっともな理由でもったいつけた上で、撮影に顔を出すことを告げた。
そして素の千雪じゃないと、本谷が納得しないというアスカの強い希望で、千雪はこうしてドラマの打ち上げの席に現れたわけである。
「ドラマ、少しは慣れました? さっき撮影見せてもろたけど」
千雪は隣の本谷に尋ねた。
「あ、はい、あの………、失礼ですけど、これからこのドラマに出演されるんですか?」
突然現れた正体不明の男に声をかけられて当然戸惑っている本谷が、千雪は少し可哀そうになった。
「やだ、本谷くん、小林先生よ、原作者の」
アスカの言葉に、本谷は言葉を失ったように目を白黒させてアスカと、千雪を交互に見た。
「ああでも、これは社外秘だから」
アスカは唇に指をあてて付け加えた。
人間の顔の中で目と言うのはそれこそ口ほどにものをいうというくらい、人となりを顕してしまうものだ。
黒縁の眼鏡をかけ少しカールがかった髪を掻きまわして目を半分も覆うと、こうして眼鏡を外し、髪を掻きわけてくっきりと目を見せているだけなのに別人と思われる。
加えて千雪の場合はジャージとスエットに運動靴というもっさりとしたコスプレのせいで同一人物と当てた者はいない。
「あ、あの、このドラマに推薦していただいて、ホントにありがとうございます。初めは皆さんにご迷惑おかけしてばかりでしたけど、セリフも少しは何とかなりそうになって参りました」
それでも本谷は何とか自分を落ち着かせると、小林千雪と知って丁寧な言葉で今の状況を告げた。
元はリーマンだったからと良太が言っていたのを思い出した。
礼儀正しいのは社会でしっかりもまれてきていることもあるだろうが、性格が真面目なのだろうと千雪は見て取った。
「へえ、ユキが推薦したの? 大丈夫よ、彼、仕事やるたびに伸びてるから」
推薦した、というキーワードが千雪の胸にチクリとささる。
が、アスカがそう評価しているのなら、まあ大丈夫なのだろう。
「そろそろ高広くるんじゃない?」
「工藤さん、驚くわね、ここにユキがいるとか」
ひとみと結託しての作戦だとアスカは言っていたが、聞いてみると本谷がどうやら工藤を好きらしいというのが、千雪は別の意味で可哀そうな気がした。
良太が、本谷のことで工藤を勘違いして、引っ越しまで考えているなんてことを聞けば、何とかしてやれるものならと思う。
工藤がまったく本谷のことでその気がないというのならなおさらだ。
けどな、周りが何を言うても、要は本人たちの問題なんやからなぁ。
千雪が工藤の恋人だと勘違いさせて、本谷が工藤を諦めるように仕向ける、とはいっても、人を好きな気持ちがそんなに簡単になくなるものだろうか、と千雪は思うのだが。
「あ、工藤さん、きた!」
アスカが工藤の姿を認めて言った。
工藤が来たら、工藤のところに行って、何か訳ありな話をしているように本谷に思わせる、というアスカの筋書きにのっとって、千雪は立ち上がって工藤のところに行った。
「お前、何してるんだ? こんなところで」
唐突に素のまま現れた千雪に、工藤は訝し気な顔を向けた。
「それはないですやろ。さっき撮影覗いてきたし、アスカさんからここで打ち上げしてるから来いて言われて」
「本谷もいるだろう」
「今更ですわ」
苦々しい顔のままテーブルに現れた工藤に、「ほんとにお疲れって顔ねぇ、高広」と既にかなり飲んでいるひとみがへらっと笑う。
「もうできあがっているのか。須永を困らせるほど飲むなよ」
「お疲れ様です」
確かに、工藤と恐ろしいほどの美形に変貌した千雪が何かありそうな雰囲気だと思った本谷だが、工藤を見ると、やはり心が浮ついてしまうのをどうしようもなかった。
「このウワバミどもに付き合う義理はないからな、お前は」
「失礼ね、それ」
アスカが抗議するが、工藤は意に介さず、秋山たちのテーブルに混じった。
「工藤さん、あんな顔してるけど嬉しいんじゃない?」
千雪が席に戻ると、アスカが声を落としてそんなことを言った。
「さあ」
人の心を操るようなマネは、千雪はあまり好きではない。
だが、良太のことを考えれば、仕事も絡んでいるし、本谷に事実を告げるわけにも行かないだろうから、こんな小芝居で本谷が工藤を諦められるのなら、それに越したことはないのかもしれない。
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