「はあ、それが、十四日の晩のバレンタインコンサートなんです。ピアニストの桐島恵美さんの」
「それはぜひぜひ! と言いたいところなんだが、残念ながら十四日の晩は映画のロケが入ってるんだよなあ、ほんっと残念。せっかく良太ちゃんが誘ってくれたピアノコンサートとかこれ以上ないバレンタインデートなのに」
宇都宮は本気で残念がっているように見えた。
「あ、いや。はあ」
良太もどうリアクションしていいかわからず曖昧な言葉を連ねた。
「せめて一カ月くらい前に言ってほしかったなあ」
「はい、じゃ、また」
良太は苦笑しながらそう言うと、あたりを見回した。
スタッフはみんな自分の仕事で手一杯で、とても呑気にピアノのコンサート行きませんかなどと声を掛けられる雰囲気ではない。
うーん、あと三枚、ひとみさんとかどうだろ、行くかなあ。
そんなことを考えていた良太に、「なんだ、コンサートって」と後ろから声がかかった。
「あ、ええ、実は、三田村さんから、桐島恵美さんのバレンタインコンサートのチケットを預かって。三田村さん、配るのが遅くなったらしくて、焦って持って来たんですけど」
「二枚避けておけ」
「え?」
一瞬、良太は工藤の言葉を咀嚼するのが遅れた。
「あ、はい。わかりました」
工藤がピアノのコンサートに行く余裕があるとは思わなかったので、頭から声をかけるつもりはなかったのだが。
誰かにやるんだろうか。
それとも、誰かと行くんだろうか。
何だか、極寒の夜だということを改めて思い知らされたように、冷たい北風が胸を吹き抜けたような気がして、良太は何だかそのまま座り込みたくなった。
不意に、研二が気の遠くなるような思いを千雪に抱いているのだという、三田村の言葉を思い出した。
鈴木さんが一人なら、俺も一緒に行こうとか思ったけど、やっぱ、やめといた方がいいな。
俺には研二さんみたいな、大人な愛とか、やっぱムリ。
誰かと一緒にバレンタインデートしてる工藤を見るとか、絶対ムリ。
でも工藤がピアノとか、そういうの好きな相手と一緒なんだろうか。
あ、あれかな、ニューヨークの佳乃さん。
あの人が日本に来るとか?
ちぇ、ま、いいけどさ。
これだから、工藤のことなんか、人に話せないんだよ。
ふう、と大きく溜息をついたところを、宇都宮に見られてしまった。
「忙しいの? またそのうち鍋しようよ」
ぽんと良太の頭に手を置いて微笑むと、宇都宮は次のシーンに備えてメイクさんが待ち構えている椅子に座った。
宇都宮に何だか心配されたようで、良太は申し訳なくなった。
と、ポケットの携帯が震えた。
森村からラインのメッセージだった。
疲れているらしく英語で、これから帰る、あとで電話をしてもいいか、という。
良太は、とにかく気を付けるように言い、急ぎでなければ明日でいいし、明日はゆっくりでいいよ、と返した。
早朝から丸一日、森村は軽井沢で動いていたようだ。
昼に電話が来た時、良太は疲れるし一泊くらいしてきていいと言ったのだが、森村は大丈夫、帰ると言っていた。
明日はこの『コリドー通りで』のスタジオ撮影があるが、午後からなので、午前中は森村の話を聞けるだろう。
それから坂口と工藤のああだこうだとやり取りもあってリテイクが続き、撮影は夜中の二時までかかった。
そのあと工藤は坂口や溝田監督と一緒に飲み屋に消えたので、良太はロケ隊が引き上げるのと同時に乃木坂に戻った。
その間に、家に着いたという森村のラインがあり、良太はほっとしつつも、遅くなった猫のご飯を用意しながら、また工藤のチケットのことが舞い戻り、ふう、とため息を吐いた。
今さらじゃん、風呂入って寝よ。
結局、風呂に入っていても振り払うことができず、缶ビールを飲みながら良太は炬燵で眠ってしまった。
明け方、強烈な光に続いて頭の上に落ちるのではないかというような音が轟き渡った。
ほんものの雷?
良太は一瞬目を覚ましたが、すぐにまた睡魔に引き込まれた。
やがて寒冷前線に伴った冷たい雨が降り注いだ東京は翌朝ひどく冷え込んだ。
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