「カンパーイとか言っちゃってさ。あたしは、竹野が良太に食指がわいたんじゃないかって心配して、横やりを入れてやったんだからね」
「食指って………」
とにかくアスカの言葉は内容とは無関係に、良太の頭にキンキンと響くのだ。
「とにかくほぼ、覚えてないんっすから、もう勘弁してくださいよ。だって、俺、どうやって帰ってきてどうやって寝たかも見当もつかない……」
「やあね、工藤さんが帰るぞって言ったら、良太、明日早いんでとかって、一緒にお店出たじゃない」
アスカの言葉にはたと思考が停止する。
「へ? 工藤さんと? ぜんっぜん、まったく、記憶にございません」
ここまで記憶にないなんて。
じゃあ、上着やズボン脱がしたのは工藤?
朝はパンツ一丁で寝ていたし、スーツはハンガーにかかっていた。
昨日制作スタジオから一端オフィスに戻ったので、猫たちにはごはんをやってから出かけたのだが、猫たちが夜中に騒いだとしても意識なくしてたからわからない。
よく俺、今朝起きたよな。
我ながら感心する。
しかもよりによって、夕べは車を店の近くの駐車場に置いたままだったのをエレベーターで降りてから思い出し、仕方なくタクシーを飛ばしたのだ。
万が一もし、遅れたりした日には、アスカのいじりは倍になってただろう。
「夕べは坂口さん、いい調子過ぎたからな。宇都宮さんやひとみさんなんかみんなウワバミだろう。竹野や本谷、マネージャーもついてなかったから、工藤さん、適当なところでタクシーに乗せてやれって、俺に。何だかんだで、ちゃんと周りを見てるよ、あの人」
アスカが撮影に入ると、秋山がボソリとそんなことを言った。
へえ、まあ、それが仕事だもんな、工藤の。
でも、今朝は朝早い便で京都行ったはずだし。
ほんとは夕べも早いとこ帰りたかったんじゃないのか、工藤。
疲れ、ピークって感じだし。
だが、その時、秋山が言った、本谷、の名前に、良太の中で反応したものがあった。
そうだよ、何か、夕べ、工藤、やけに本谷に優しくしてやっててさ。
意識がなくなるくらい酔っぱらったのは、それが面白くなくてついいい気になって強い酒をガブガブやってしまったからだ。
徐々に、霧が晴れるように、昨日のことが脳裏に舞い戻ってくる。
あの時は、勘違いしているだの言ってたけど、案外、工藤のやつ本谷にほだされてたりして。
とか、思っちゃったんだよな。
ま、俺の杞憂だ、杞憂。
そら、ま、俺がいるからなんて、保証はどこにもないけど、あんな疲労困憊じゃ、そんな余裕はないって。
うん。
『からくれないに』の若いリーマン役は、結局本谷に決まった。
事務所にダメモトで良太が打診したところ、マネージャーは二つ返事でゴーサインを出した。
そうするとほぼキャストは出そろったので、近々打ち合わせをスケジュールに組み込まなくてはならない。
最近、全国お悩み相談室と化していた良太だが、ここのところ、良太自身が忙しいこともあってか、面倒ごとは持ち込まれてはいない。
『田園』の撮影の方も、懸念していた割には面倒ごとも起きないでいる。
このまま、なーんにもなく、滞りなく撮影が終わってほしいものだが、四季を通じての大型ドラマとあって、放映が始まってからも撮影は続き、冬のシーンは十二月の初旬にスケジュールが組まれていてその撮影が終わったところでクランクアップとなる予定だ。
アスカのドラマ撮影のあと、レッドデータの制作現場に行き、結局部屋に戻ったのは夜の十時だった。
それでも午前様にならないだけマシだろう。
今日こそはゆっくり風呂につかって、猫たちの相手をしてやろう。
猫たちにご飯をやってから風呂に入り、冷蔵庫から缶ビールを取り出してゴクゴクと飲み、ほっと一息ついて、ようやく良太は少しだけ浮上した気になった。
「『からくれないに』も京都が舞台だっけ」
原作は何度か読み込んだのだが、京都という響きにはそれだけで底知れぬ妖しさを感じてしまう。
京都はそのまま小林千雪につながる。
良太はまだ千雪という人の中に知らない何かがあるように思うのだ。
