その感性は母親から厳しく習得させられた茶道においても遺憾なく発揮され、その所作の秀麗さは母親譲りの容姿ともあいまって周囲を静まり返らせたものだった。
若い頃はさぞ美しかっただろう、いや、今でも十二分に美しいのだが、母親の美貌を受け継いだ佐々木には、親衛隊やらストーカーやらがいたという話はまんざら嘘ではなく、だがおっとりとゆったりとした性格ですんなり成長し、似たような世界観を持ち絵を描く友香と出会い、結婚した。
だがそんな緩やかな人生に唐突に訪れた歪みは友香との別れだった。
喧嘩になったとか、他に誰か好きな相手ができたとかではなかった。
厳格な母親はことあるごとにうるさかったが、友香は素直に受け入れて頑張っていたし、もとより天然な友香と母親の間に軋轢があったわけでもない。
付き合っていた頃からいつも仲が良く、穏やかで幸せな日々を過ごしていた。
少なくとも佐々木はそう思っていたのだが。
彼女の中で徐々に育っていたのは佐々木を失うことの怖れだった。
「ダメなの。周ちゃんのそばにいると、誰かが周ちゃんのことさらっていっちゃうんじゃないかって、そんなことばっか考えて、絵も描けなくって、何も手につかなくなっちゃうの。だから、私、周ちゃんの傍にもういられない」
結局、佐々木は彼女がはまり込んだラビリンスから彼女を連れだすことはできなかった。
彼女との別れは佐々木に痛みを残したが、時の流れとともに新たな存在が佐々木の心をゆっくりと和ませてくれた。
やがてそんな穏やかな時は終わりまたぞろ残された胸の鈍い痛みには覚えがあったが、また春日あたりと飲んでいれば時間が緩和してくれるだろうと楽観視していた。
毎朝仏壇の前で、嫁に去られた三十路の一人息子のために、「どうか周平にええご縁がありますように」と手を合わせる母親も昨年古希を迎え、佐々木はそんな母親に申し訳なく思わないでもなかったが、まあ、穏やかに生きていければいいと既にいくばくかの諦めも許容し始めていた。
そう、問題は春日でも誰でもいいが、誰かといれば起こらなかったのだ。
しかも、CM制作に携わるクリエイターにも関わらず、興味のあること以外興味を持たないというのんびりした性格のせいで、トモ、と自称した男との逢瀬にのめり込んでしまうまで、その正体に気づかなかった自分が情けなかった。
沢村智弘、関西タイガースの四番を打つ人気スラッガー。
年も若い著名人となどそれ以上付き合っていけるはずはない。
佐々木は沢村との関係にゲームオーバーを告げるが、沢村は納得しないどころか、逆に佐々木のテリトリーにズカズカ踏み込んできて、この一年で穏やかな凪のようだった佐々木の人生が怒涛の日々へと変わってしまった。
無論、ちょうど春日の会社から独立したばかりだったことも要因の一つには違いないのだが。
「そうだ、今年も大掃除やるんだろ? いつやるんだ?」
明日会いたいと言って昨夜電話をしてきた沢村は思い出したように尋ねた。
そういえば去年、年末の大掃除に沢村は佐々木と共に家まで押し掛けて、時間に遅れたことに小言を言う母親に何やらうまく取り入ったのだ。
そんなことまで思い出した佐々木は眉をひそめた。
「全く、俺は面倒なんは嫌いなんや。ぬるま湯につかってのんびりしてるんがええ。何が起こるかわかれへんびっくり箱みたいなんはごめんなんや」
そう呟くものの、嫌いなはずの厄介ごとから抜け出したくないらしい自分へのジレンマにため息をひとつつくと、こちらもどうやら厄介ごとを抱えたクライアントが待つホテルのラウンジへと向かった。
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