幻月3

back  next  top  Novels


「あら、ありがとうございます。でも、今夜は娘と約束がありますの。どうぞ、良太ちゃんとゆっくりなさってくださいな」
「そうですか。ではまたの機会に」
 工藤も無理にとは言えないのだが、何となく鈴木さんが遠慮したのではないかと思った。
 そういう人の心の機微をさりげなく読むようなところが鈴木さんにはあった。
 たまに社員と食事などをとは思うものの、なかなか工藤にはそういう時間が取れない。
 その分、工藤のいないところでも、時間が合う者たちで食事に行ったりするようにと、良太に言い含めてある。
 むしろ工藤がいない方が羽を伸ばせるというものだろう。
 ちぇ、俺には予定はないのかとか、聞かないのかよ。
 良太は心の中でちょっとむくれてみる。
 が、結局のところ、工藤と言葉をかわせることだけでも嬉しかったりする。
 何か言おうとした時、工藤の携帯が鳴った。
「ああ、京都は来週だからそれまではこっちにいる。まだスタジオか? ああ、明日、『ブラン』八時だな、わかった」
 ノートパソコンに向かいつつも耳を澄ましていた良太は、ヤギさんかな、と工藤の携帯の相手を想像した。
 やがて鈴木さんが定時で帰ると、「あと一件電話したら、メシ、行くぞ」と工藤が言った。
「あ、はい、じゃ俺も、ちょっと部屋寄るんで」
 ノートを閉じると良太は自分の部屋に上がり、猫たちにご飯を上げたり、トイレの世話をしたりして、洗面台の鏡でちょっと身だしなみを整えてから部屋を出た。
 何がいいと珍しく聞かれたので、良太は、鮨! と迷わず答える。
 フンと笑って、工藤はたまに行く『しのだ』へと足を向けた。
 会社から十分とかからないところにある高級寿司店だ。
 良太は『田園』の北海道ロケや『からくれないに』の撮影の報告をしながら、遠慮なく、エビ、大トロ、イクラ、ツブ貝、ウニ、と平らげていく。
 工藤は時々、口を挟みながら鮨を食べ、ゆっくり冷酒を空けている。
 良太は工藤とこんなのんびりした時間は久しぶりだな、などと思いながら、工藤が注いでくれる冷酒を口にした。
 すし屋を出ると、こちらも久々、前田の店『OLDMAN』に寄った。
 良太が工藤に『お中元』に贈ったロンサカパセンテナリオなるラム酒をようやくあけることにもなった。
 工藤はストレートで味わっている。
「美味しいです」
 前田は良太にはロンサカパでマティーニを作ってくれた。
 良太もロックで飲んでみたいとは思ったものの、せっかくの前田の好意ににっこり笑う。

 


back  next  top  Novels

にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説へ
にほんブログ村