ACT 3
「こらぁ、小笠原、身ぃ入ってねぇぞ! 腹だ、腹にぐっと力入れて歩け!」
四谷のYスタジオでは、朝からディレクター下柳の怒号が飛んでいた。
「そうだ、もっと色っぽくだ」
「色っぽくって、どう色っぽくだよ、充分俺色っぽいぜ、いつも」
着流し姿の小笠原祐二が文句を言う。
「お前のはスケベっぽいってんだ、クソ」
大和屋のCM撮りが始まったのだが、このスタジオ内にはまるで人気ドラマでも撮っているかのような面子が揃っていた。
関東ローカルで流すCMだというのに、人気俳優で青山プロダクション所属の小笠原や中川アスカ、それに南沢奈々が出演し、天才クリエイターと称される佐々木がプランニング、一応この業界ではその名も知れたヤギさんこと、下柳ディレクターが監督するという、大掛かりなものになっている。
しかも音は人気ロックグループ「イリュミネ」のキョウヤが担当しているのだ。
要は、たまたま知り合いだっただけ、しかも予算はやはり関東ローカルなのだから、ギャラはみな一様に低い。
さらに俳優陣が今日しかスケジュールが空いていないということで、全員揃っての撮影に臨んでいるわけだ。
「そうだ、色っぽいってぇのはだな……、佐々木さん、ちょっと」
腕組みをして撮影を端で見ていた佐々木は、下柳に手招きされて歩み寄る。
「あんた、こいつに教えてやってくれ。着物着つけねぇから、何かサマになんねくて」
「え……はあ……」
スタジオ撮りが迫っている中、イメージが今ひとつ定まらずにいた佐々木は、ちょうど能楽堂で「野守」が演じられるというので、二日ほど前、鬼神を観に出かけた。
能は佐々木の好きなもののうちのひとつだ。
幽玄な世界が、しばし世の中の喧騒をどこかへ押しやってくれる。
だがじっとシテを見つめる佐々木の中で、悠然と舞う鬼神がいつしかトモに成り代わっていた。
鬼神が佐々木を手招きする。
行けば喰われると知りながら、自ずからその手に捕らわれてしまう。
当然のごとく鬼神は佐々木を貪り喰らう。
やがて喉に牙が突き刺さるその瞬間、手放し難い陶酔が佐々木を襲う。
喰らい尽くされる前に、佐々木は鬼神の顔を見たくてその面に手を伸ばした。
「これ、これだ、わかるか、小笠原!」
下柳の声に、佐々木の意識がスタジオに舞い戻る。
また、意識が浮遊していたことに、佐々木はもはや苦笑しかない。
「ちぇ、だったら佐々木さん、出たらいいじゃん」
「だよな、俺もそう思うのよ」
「ちょ……下柳さん、冗談はやめて、お願いしますよ」
佐々木は慌ててカメラの視界から外れる。
ショーに出演するというだけでも冗談じゃないのだ。
「どうして私が雪女なのよ? 佐々木ちゃん」
「雪女やのうて、雪の精やて」
色々とブツブツ言っていたアスカも、可憐な娘の奈々が変化した妖しい雪の精を超絶な美しさで演じきったし、小笠原は小笠原なりにいい絵を撮らせた。
back next top Novels
