ACT 1
バンッ…と思い切り背中を叩かれて、「ってぇだろ…! タケ、てめ…」と長谷川幸也は隣のスツールに滑り込むように座る検見崎武人を睨みつけた。
「なあんか、後姿がうらぶれてっからさ」
街路樹も日ごとに色濃くなりつつある金曜の夜、薄暗い店の中は結構賑わっている。
秋とはいえよく晴れた日の夜は空気の温度が上がったまま停滞し、汗で体に張りついたようなシャツの感触がうざったい。
天井でゆっくり回るシーリングファンは熱気をかき混ぜるばかりだ。
「秀さん、俺、ハーフロックね、シングルモルト。あ、こいつのおごりだから」
「誰のおごりだって?」
「お前だろ? 忙しい合間をぬって、わざわざ呼び出しに応じてやったんだ」
親しげな調子で中央に立つバーテンダーに注文すると、武人は長い脚を組みながらえらそうに応酬する。
「お前、八時には楽勝とか言わなかったか? あそこの柱時計、針がさしている数字言ってみろ」
お陰で灰皿の吸殻は積みあがるし、もういやというほどこのカウンターの中の棚に並ぶボトルをにらみつける羽目になった、と幸也は武人に顔も向けずに文句を言う。
「たかだか三時間遅れなんて、ちょおっと飲んでりゃすぐじゃん。撮影が長引いちまったんだよ」
「だったら、連絡くらい入れろよ」
「秀さん、何とか言ってやってよ。こいつ、都合が悪くなると、自分のふがいなさを俺にあたるんだぜぇ」
言葉に詰まった幸也の手の中でグラスの氷がカランと音をたてる。
武人の言い分が満更あたってないでもないだけに、幸也は余計苛つくのだ。
今現在、相模原のJAXA関連のキャンパスにある超小型人工衛星のプロジェクトに参加している研究室で、幸也はコマンド処理システムのチームにいる。
同じプロジェクトに参加しているアメリカのH大学にいた一年の間にその偉才ぶりを発揮し、担当教授に引っ張られてその研究室で立ち上げたばかりの国際宇宙ステーションに関わるプロジェクトにも首を突っ込んでいる。
そのためハワイ、フロリダ、東京を軽く飛びまわっている幸也は研究室でも一目置かれる存在となっていた。
とりあえずそれはそれ。
仕事に夢中になっているときは別として、幸也の中には次元の違う大きな問題が鎮座していた。
十月に入って数日研究室にこもっていた幸也だが、今夜区切りをつけて巷に舞い戻ってきたのである。
秀さん、と武人に呼ばれたバーテンダーは、二人の会話を聞いているともいないともわからぬ表情のまま、いつものようにシャープな手つきで武人の前にグラスを置いた。
この二人、秀さんとはもうかれこれ六年来のつきあいになるが、秀さんが口にする言葉は必要最低限。
話しかけても常に曖昧な微笑をかすかに浮かべる程度だ。
青山にレストランバー『HIRONDELLE』がオープンしたのが六年ほど前のことで、幸也と武人は開店当初からの常連になる。
六年前といえば二人ともまだれっきとした高校生だったはずだが、主に幸也が大人を欺いて遊び仲間の城島志央とここを拠点に悪さをしていたというわけだ。
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