ACT 3
秋晴れのある朝、といってももう十一時に近くなっているが。
武人が歩いていたのは、世田谷は用賀の閑静なたたずまいである。
その一角にある門には花で飾られた『Nao Cake House』という木彫りのプレートがかかっている。
チャイムを押して門を一歩踏み入れるとまるでミスマープルの家の庭にでも迷い込んだかのような錯覚に襲われる。
秋色の木立に守られるようにコスモス、デルフィニウム、ジニアリネアリス、ナチュラルガーデンを彩るピンク、青、黄色の花が真っ盛りだ。
あちこちに置かれたコンテナには花があふれ、ベンチやテーブルをさりげなく彩っている。
明るい黄色の花をつけたつるバラのアーチをくぐり、カンパニュラに覆われた石段を数段上がると、オフホワイトの壁や高い窓、鉢植えを左右に配した白い玄関ドアが見えてきた。
「あら、いらっしゃい! 久しぶりね~タケちゃん」
ドアが開いて武人を出迎えたのは、ゴールデンレトリバーとトイプードルの二匹と、この可愛いイギリス庭園がある家の主、城島奈央である。
既に五十代にも手に届くはずだが、年齢不詳の美貌は衰えることなく、明るく可愛らしい笑顔は料理研究家としての人気の重要な要因であろう。
「奈央さん、ちょと早かった? まだあいつらきてないんだ?」
「いいのよ、もう準備はできてるわ。あの子たちが来る前にお昼いかが? 今日は冷たいパスタ。ちゃんとケーキも焼いてあるわよ」
「うおっ! ヤタッ! ぐぐっと腹がなるぅ。奈央さんのケーキって最ッ高にうまいっすからね! 楽しみ~。やつらが来る前に食うぞっ!」
「ふふ、でもまた、喧嘩しないでよ~」
奈央に続いて武人がリビングに入っていくと、奈央の助手を務めるスタッフが数人くつろいでいて、武人を見つけて会釈する。
「ども、お邪魔します~」
元外相である武人の祖父と陵雲学園理事長である奈央の父が同窓で無二の親友であったことから、奈央と長谷川二兄弟の頃はもとより、それぞれ結婚して独立してからも今度はその子供たち同士がという具合に、長谷川家と城島家はもう半世紀以上親しく行き来している。
学園で教師をしていた奈央の夫は同僚の若い教師と駆け落ち同然で家や学園から出て行った。
そんな奈央に、得意な料理をみんなに披露したらどうかと奈央に薦めたのが長谷川元外相だった。
とっくに追い出した夫のことなどきれいさっぱりで、美央と志央の二人の子供たちとの生活を楽しみつつ、財界政界の有閑マダムたちを相手に始めた料理教室は口コミで評判となり、奈央は料理教室を自宅から広尾に移して活躍の場を広げた。
ところが降ってわいたような出来事が奈央をどん底に叩き落とした。
事故で美央を唐突に失ってからというもの、奈央は生きる術までもどこかに追いやってしまっていた。
あまりに美央そっくりの息子の志央を避けるかのように一時は傷心のまま海外で過ごしたりしていた奈央だが、最近ようやく自分の悲しみに精一杯で息子の志央を放りっぱなしにしてきたことを悔いるくらいはできるようになった。
ただ、もし幸也という存在がいなければ志央の心がどれだけ危うかったかなど、奈央には推し測ることはできなかったのだ。
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