Stand by1

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 春を前に、広瀬良太が再び北海道へとやってきたのは三月も下旬の頃である。
 ディレクター下柳とカメラマンの葛西、プロデューサーとして末端をけがしている良太の三人はオホーツクの海沿いを車でひた走っていた。
 
  
 ゆったりとした自然の動き、静寂の中のかすかな音までもじっくり時間をかけて追い、映像に収めてきたこのドキュメンタリー番組の制作陣なのだが、スピード感に欠けると下柳が先日から言い出した。
「スピード感って、F1撮るわけじゃないんっすからあ」
 もういい加減寒さの中での仕事に疲労しきっていた南国出身のスタッフからはそんな声も聞かれたが、無理もない、ここ数ヵ月というもの、極寒の地で北海道の冬をまるごと撮影する勢いで耐えてきたわけだ。
 何しろ、相手はいつ何が起こるかわからない、期待したような絵がいつ訪れるかわからない大自然である。
 これだという情景が目の前に現れるまでじっと待つよりほかないのだから。
 来る日も来る日もそうやって得た貴重な映像はそれだけで十分に観る側を感動させるに足るものだ。
 だが―――
 例えばもっと動物たちが獲物を捕獲する刹那の究極な絵がほしい。
 思い立ったら一人でも動く下柳を止められる者は誰もいない。
 いつもならアーティスト染みた雰囲気をほんの少しくらいは漂わせている下柳の無精ひげは今、ただただ無精ひげにしか見えないが、眼光の鋭さだけは研ぎ澄まされているようだ。
「このあたり、行っときます」
 下柳が車のスピードを緩めると、目いっぱい窓を開けて葛西がカメラを回し始める。
 急速に車内の温度が下がる。
 葛西は北海道出身で、下柳の仕事にはほとんど参加している大柄な元ラガーマンだ。
 無論ウインタースポーツはなんでもござれ。
 何より地元出身ならではの秘境スポットに案内してもらった下柳はかなり有頂天になっていた。
 今回も葛西は一人で向かおうとした下柳に黙って同行した。
「そのうちあの木たちも風化されてなくなってしまうんですよねぇ、なんかこう、胸がきりきりと痛くなりますねぇ」
 木曜日の晩、北海道に飛ぶという二人に、「俺も行きますっ!!」と手を挙げたおまけの同行者が、流れる景色に目を向けながらしみじみと呟いた。
「まあなあ。自然の生業ってやつだから、仕方ねえさ」
「情緒のない工藤さんみたいな言い方しないで下さいよ、ヤギさん」
 良太はぼそぼそと呟いた下柳につい口調もきつく言い返す。
 ふと目を上げた良太の目の前に、風連湖は相変わらず何も語らない。
 ただ、くだらない八つ当たりの対象にするには恐れ多いとばかり、容赦なく厳しい自然の顔を見せつける。
 頬に突き刺さるような風の襲来に、良太は思わず目を閉じた。
 
  
 
 
 下柳が乃木坂にある青山プロダクションのオフィスにふらりと立ち寄ったのは、木曜の午後だった。
 オフィス内はまだ北海道じゃないよなと思わせるようなひんやりとした空気に包まれていた。
 それは主に苦虫を噛み潰したような顔で煙草をくわえている工藤とパソコンにじっと目を凝らしつつキーボードを叩く良太の回りではあったが。
 今夜キャンセル待ちでまた中標津に発つからと告げた下柳に、良太が自分も同行すると宣言した。
 そのあと、さっさと工藤はオフィスを出て行くし、下柳の返事を待つまでもなく、良太はパソコンからその夜の札幌行きの便、三人分をちゃっちゃか確保し、羽田での待ち合わせ時刻を決めてしまった。
 翌金曜日は世間一般では祝日である。
 実は珍しくスケジュールが空いた工藤が木曜の夜から良太を連れてスキーに行く予定になっていた。
 ところが工藤に急遽スポンサーとの接待ゴルフの予定が入り、スキーはドタキャンとなってしまったわけだ。
 それだけならまだよかったかもしれない。

 


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