どうやら向こうも工藤のことを忘れてはいないようだ。
こうして相対するのは、工藤とちゆきが付き合っていた頃、桜木が工藤の手からちゆきを奪い、無理やり車に連れ込んで走り去って以来だ。
「工藤、桜木先生はこれからの日本を背負って立つ国民党のホープだ。私は政党を応援するということはしないが、優れた技量を持つ若い者を後押しすることには尽力を惜しまない」
藤本は豪快に笑う。
「はじめまして、工藤さん。映画のご成功、おめでとうございます」
桜木はしっかりとした口調で言った。
工藤が政治家は嫌いだと知っているはずなのに、わざわざよりによってこんな男を紹介する藤本が腹立たしく、ややあって、「いや………」と搾り出すように工藤は口にした。
それはとても友好的な挨拶とは思えず、ましてや話は弾むどころの騒ぎではない。
がっちりと対峙したまま工藤と桜木は互いの目を見据えていた。
ようやく桜木という名前を思い出した良太は、工藤の心の内を思いやった。
こいつが、工藤のちゆきさんのフィアンセだった男か。
良太は直接工藤から当時のいきさつを聞いたことはない。
だが、ちゆきが自殺したあと、その妹、つまり隣にいる女性と結婚したという話は、千雪から聞いていた。
ったく、厚顔無恥なやつ!
政治家を嫌う工藤でなくても、そこまでしてと思うのは自分だけではないだろう。
「お話中すみません、藤本さん、ちょっとよろしです?」
気まずい沈黙を破ったのは、はんなりとした関西弁だった。
「桜木先生は確か、茶の湯にも精通しておられるとか」
その場に割って入るようにやってきたのは、小林千雪と綾小路夫妻、それに後ろに立つ京助だ。
「ああ、小林先生、綾小路さん、ご紹介がまだでしたな」
藤本が桜木夫妻を千雪に紹介すると、「はじめまして、小林千雪です」と千雪は桜木を見る。
「……桜木です。こちらは妻の美千代です」
幾分、二人の顔がひきつっているかのように良太には思えた。
それもそうだろう、ちゆきという名前をこうもはっきり口にされたのだ。
でなくても今ここで工藤の前でそんな名前を出されれば否が応でも亡くなったちゆきのことが頭を過ぎらないではないだろう。
ただ、当時のちゆきを連想するには妹の美千代という女性の影は薄く見えた。
「綾小路です。妻の小夜子とは確か茶会で」
「ええ、お目にかかっております」
紫紀が言うと、桜木も少しほっとしたように顔を上げる。
「小林千雪は小夜子の従兄弟なんですよ」
「あ……、そうなんですか」
意外そうに桜木は千雪と小夜子を交互に見た。
「ええ、千雪ちゃんも私も一人っ子同士でしたから、姉弟のようなものなんですのよ」
相変わらず苦労のない言い方で小夜子が笑う。
「何でこれが従兄弟なんやと思われたでしょう? 母が日本橋の原の出なんですけどね。千雪いうんは父がつけたんですけど、いつも名前負けや言われて」
小夜子の言うのに千雪が思ってもいないことをつけ加える。
「あら、でも千雪なんて小説家にはよく合った名前じゃないこと?」
のほほんと小夜子が千雪という名前を連呼する。
どうやら桜木代議士に対する千雪の大いなる嫌がらせな策略だと、良太はようやく気づく。
桜木夫妻の表情から笑みが消えて顔色が蒼くなっていく。
千雪が案外策士でタヌキだとは最近良太も認識を新たにしたところだ。
第一、ほんとは超美形なのにあんな眼鏡で隠してること自体、世間を欺いてるじゃん。
「藤本さん、そろそろ私は失礼します」
千雪の乱入のお陰で桜木との間に作られていた不穏な空間をかき回されて我に返った工藤が藤本に告げた。
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