「ほんま、みんな薄情なヤツや」
テレビでは桜の開花予想から、今度は今の政権批判へと話題が変わっていた。
友達ひとりできなくて寂しいなんて、自分から連絡を取るのも何やらシャクな気がしたし、ちょっと一人に耐えられなくて、研二に電話をしたこともあったがそっけなく切られたしで、何を見るともなくテレビをつけるようになったのはあの頃からだ。
一人暮らしをすると断固として宣言した手前、今更、原の伯父や従姉に泣きつくわけにもいかないし、この扮装をやめたら今度はまた妙なやつにつけまわされたりするかもしれない。
自意識過剰といわれようと、女の子に家まで押しかけてこられたり、門の前で待ち伏せされたり、ぎらついた目を隠そうともしない男に襲われかけたりなんていうキモい体験をするよりはちょっと寂しいくらい我慢することを選んだ。
間もなく、そんな寂しがりやな千雪の前に現れたのが京助だ。
あとで知ったのだが、昔、千雪の父親である小林和巳に心酔し、K大にいたことがあったという京助はよく小林家を訪ねていたらしい。千雪は父親の研究室の人間ともあまり接触しないようにしていたので顔を合わせたことはなかったのだが。
アメリカにいた母親が病床に伏したことが理由で京助はボストンに行ってしまったから、千雪の父との交流は一年にも満たなかったようだが、その後京助の母親は亡くなり、今度は日本にいる父親が身体を壊し、研究者の道を諦めて実家が創業した企業に入って東奔西走する兄に、心労で義母までが病床につくことを心配して実家に戻るように頼まれ、京助は結局東京の大学を選ばざるを得なかった。
京助からそういった報告を受けていた千雪の父は、たまたま千雪が同じ大学に行くことになったというだけで、見かけたら声をかけてやってほしいなどと京助への手紙に書いたのだという。
意外と義理堅い京助は、手紙にあった名前だけを頼りに千雪を見つけ、千雪が推理小説研究会に入ったと知ると、自分も入会し、それから千雪にあれこれと世話を焼き始めた。
以来、強引で俺様な性格ではあったものの、千雪は結局、世話焼きな上に料理もかなりな腕前の京助に寄りかかってしまった。
その時は、まさか京助と友人以上の関係になるなどとは想像もしていなかったのだが、ずるずるとなし崩し的に半同棲のような形で、今に至っている。
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