小草生月某日-1

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 欠伸をした途端、眼鏡がずり落ちそうになり、小林千雪は煩わしげに緩慢な動作で眼鏡を押し上げた。
 最初に作った眼鏡はとにかくゴツさばかりを考えたので重くて、しばらくしてから少しでも軽い素材のものに変え、最近は超軽量弾力樹脂素材のものを使用しているのだが、眼鏡自体が大きい丸眼鏡なので探すのも一苦労だ。
 大学進学で上京したと同時に、モッサリ頭に黒縁メガネ、ジャージの上下と運動靴という風貌でデビューして以来、どうやらそれが周りに大うけ?し、ダサダサ、クサそう、あり得ない、超マイナスレベル、とまあ、女の子だけでなくいただいた有難い形容詞は数限りない。
 しかも学生の時に推理作家として文壇にまでもデビューしてしまったものだから、ある意味蔑称で、名探偵などと呼ばれるようになり、そこには名探偵イコールクサそうなオッサンという方程式が成立してしまった。
 ただ千雪としては実際何も好き好んで、このような出で立ちをしているわけではない。
 いや、半分は面白がってやっているといえなくもないのだが、本来の小林千雪自身は十人すれ違ったとすれば十人が振り返るであろう稀有な美貌の持ち主なのである。
 そのお蔭で子供の頃の誘拐未遂に始まって、女の子には追いかけられる、だけならまだいい、男にストーキングされてあわや襲われそうになるなんてぞっとする体験をした日には、上京したばかりの千雪にとっては必要不可欠な自己防衛手段だったのだ。
 時折、息抜きにこの面倒なコスプレを脱ぎ捨てて外を歩くのだが、そういう時だけ本来の自分に戻った気分になる。
 だが考えてみると、それというのはただ京都にいた頃の自分に戻った気分なわけで、懐古主義というよりは後ろ向きな本性を裏打ちする以外の何者でもない。
 たまに何もかもがウザくなっていっそ京都に戻ってしまおうかなどと思うこともあるのだが、仮に物書きだけに専念するとして実家に戻ったとしても、既に両親は他界しているし、天涯孤独、自分以外の人も街も全てがとっくに変貌してしまっているのだ。
 それぞれの時間がそれぞれにあるわけで、それはもう戻ることはない。
 二月に入って既に半月ほどが過ぎた。
 寒気団は相変わらず関東地方に居座っていて、窓から外を見ると、時折冷たい霙まじりの雨がぱらついている。
 翌月に試験はあるものの、宮島教授は千雪に対してもう既に博士課程に進んだような扱いで、よもや研究室からいなくなることなどほぼ一パーセントもあるとは考えていないようで、千雪にしてもあえてそれを否定するつもりはないのが実情だ。
 お陰で月間の女性誌で連載中の原稿を半徹夜で上げたばかりというのに、教授に頼まれた調べ物をするべく、千雪はこうして図書館の埃くさい片隅を陣取っているわけだった。
「要は現実逃避やな。けど、どっちが現実逃避なんやろ……」
 周りに人がいるとは思わず、千雪はつい口にした。
「悩みがあるなら、いくらでも聞くけど?」


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