「小夜子の作るケーキのがメチャうまいぞ」
「またお前、小夜ねえのことバカにしよって」
「ほめてるんだろーが。マギーのケーキはもう金輪際ごめんだがな」
小夜子の名前が出ると、千雪はちょっと口を噤む。
「あと、何か月やったっけ」
「十二月まで五カ月だろうが。ったく、順調そのものだろう、小夜子は」
そう言われても、千雪はどうしても江美子のことが重なって何かしらの不安を払しょくできないでいる。
あれは九月だった。
あの時を境に、千雪の見えている世界が一変した。
「また向こうで集まるんだろ」
江美子の命日に、仲間が集まることになっている。
千雪は残っていたグラスの冷酒を飲み干した。
「何や……怖いんや………」
かなり酔うとるな、とそんなことを口にする自分を千雪は嗤う。
「バーカ、俺がいるだろう」
京助は千雪の頭を引き寄せた。
「せやな。ピンチの時に駆け付けるヒーローやもんな、ピザ屋のにーちゃん」
「フン、ピザ屋だろうがうどん屋だろうが、駆け付けたもん勝ちだ」
「うどん屋て、なんやね」
千雪がケラケラ笑う。
「フン、勝手に笑え、このやろ」
京助は唇を塞ぎ、しばらく千雪の口腔をまさぐった。
「うどん屋のキスや」
「よし、週末はうまいうどんを打ってやる」
「打つ? そんな原点から作らんでも。このクソ暑いのに」
「こないだ、実演販売やってるうどん屋のオヤジの店に行ったんだ。あれは美味かった」
「そら、プロやし」
いくら京助の料理の腕がプロはだしだとしても、うどんはさすがに難しいだろうと、千雪は思うのだが、京助が言い出したら聞くはずがない。
「まあ、あんまし期待はせんとこ」
ケラケラ笑う千雪をまた京助は引き寄せた。
それからゆっくり、執拗に、京助は千雪を抱いた。
いつにもまして執拗に責め立てる京助に、千雪は声を上げずにはいられない。
追い上げられて千雪の身体に火が付いた。
声を上げるのすら押さえることができない。
「京……あっ……あ」
千雪はその滾りを受け入れて喘ぐ。
千雪は激しい情のうねりに悲鳴を上げ、京助の首筋にしがみつく。
あとはもう二人で夢中になり、やがてどちらともなく果てる。
一瞬遠退いた意識が戻ってくると、千雪はベッドに放り出された。
ピザ屋でもうどん屋でもいいが、京助は千雪にとって何かあれば駆け付けてくれるありがたいヒーローだ。
しかも千雪の捻くれた思いごと抱きしめてくれるヒーローなんて、どこを探してもいない。
これ以上の幸せを望む方がどうかしている。
だが、千雪は心の隅にある哀しみを未だ拭いきれないでいる。
生きていくということは、喜びの数が増えると同様に哀しみもまた増えずにはいないのだ。
その哀しみの一つの断片は研二だ。
研二が、千雪の幸せをこそ自分の幸せとしてきたように、千雪にとっても研二の幸せこそ自分の幸せだと思う。
研二の幸せが無い限り、千雪にとっての幸せのジグゾーパズルは未完のままだ。
そうして京助がこれ以上もない愛を注いでいるとしても、千雪の心の片隅は研二が棲みついているのだ。
それは、千雪が言わずとも、京助にもよくわかっていた。
だが、脆弱な精神はどうしても千雪を手放すことができなかった。
俺にはお前を責めることはできない。
京助は心の中で研二に告げる。
だが、やはり、どうしても、千雪だけは連れて行かないでくれ。
京助は心の内で叫び、腕の中の千雪を抱きしめる。
様々な運命の歯車が噛み合わさって軋む。
そろそろ夜が明ける。
―――――――暑い一日がまた始まる。
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