「まあ、ここまで来て手ぶらで帰るわけにはいかないからね、駅前のビジネスを慌てて取ったよ。千雪くんは?」
渋谷は開き直りのように答えた。
「俺は明日桐生市の観光でもしよかくらいですけど、その後、九重の事件は何かわかったんですか?」
「ああ、本部はまだ九重のことも松岡夫人から聞き出そうと躍起のようだ。九重は杉浦を殺害した凶器で殺害されたことがわかったが、指紋も一切ないし、夫人のバッグが一緒にあったが、仮に杉浦を夫人が殺害したとしても九重の殺害は別の誰かなことは確かだ」
「ひょっとしてまた松岡教授を任意で引っ張ったりしてるんですか?」
少し非難めいた口調で千雪は尋ねた。
「いや、九重が殺害されたとされる時間、松岡教授には学会で名古屋に一泊していたというアリバイがあった」
すると、「いくら今までアドバイスをもらっているとはいえ、そんなことまで小林に話してしまってええんですか?」と近くにいるのだろう山下の声が千雪にも聞こえてきた。
「ちょっとした情報もあるんですが、山下さんが懸念されているようなので、これで失礼します」
千雪はもったいぶった言い方で渋谷を慌てさせた。
「え、千雪くん、ちょ、ッと待った! 情報はぜひ聞かせてほしい!」
千雪はクスリと笑う。
「九重の出身が桐生ってことはわかってますよね?」
「ああ、それはもう」
「ほな、九重の妹がギャラリー『蒼』の社員やいうことも?」
すると「え、何だ、それは!」とまた渋谷は慌てている。
「あかんやないですか。捜査一課の第一人者がそのくらいなこと知らんでは。今、オーナーの松岡夫人の代理でギャラリーを切り盛りしてるらしい、笹田靖枝、前科者の兄のせいで母親が自分の旧姓を名乗らせたらしいです」
「本当か? ってことは、九重兄妹ももしかすると十年前の誘拐事件に関与しているかも知れないってことか!」
思わず渋谷は先走って喚いた。
「一足飛びにそこまでは言いませんけど、桐生での九重兄妹のことも調べてみはったらええん違います?」
渋谷は唸った。
「しかし、どうやってそんな情報を、ああ、またピザ屋のにいちゃんに探らせたとか?」
それを聞くと千雪は笑った。
以前、加藤や辻、それに京助を巻き込んでとある事件を引っ掻きまわした時、京助にピザ屋のユニフォームやバイクで走り回らせたことを渋谷は言っているのだ。
「いや、いつもピザ屋のにいちゃんやないですけどね」
「ふーん。まあ、とにかくありがとう。明日早速、市役所で親子のことを調べてみるとするよ」
渋谷が電話を切ると、千雪は九重親子がこの街でどんな風に暮らしていたのかと、思いを馳せた。
母親が靖枝に自分の旧姓を名乗らせたくらいだから、兄とは会わせたくなかったのではないだろうか。
そんな妹が、兄と結託して誘拐事件に関わったりするだろうか。
だが、のっぴきならない何か事情があったのかも知れない。
それにもし兄妹が伊藤家の人達を知っていたとしたら、奈美を知っていたとしたら?
そこで千雪が思い出したのは、渋谷が奈美の学友たちに写真を見せた時に、一人が松岡夫人に見覚えがあるようだったことだ。
松岡夫人はあくまでも偶然殺害現場に入ってしまい、事件に巻き込まれて冤罪をかぶせられようとしている第三者、なのではないのだろうか。
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